アニメノギス

理屈っぽいアニメレビュー

『ハイスクール・フリート』のレビュー:★★★★(4.0)

 

アツいシナリオと魅力的なキャラ。アニオタもミリオタも楽しめるバトルシップ萌えアニメ

 

今回は2016年放送の『ハイスクール・フリート』(以下、『はいふり』)を紹介していく。ところで、TVシリーズの続編となる劇場作品が数日前から上映されているが、今回のレビューは劇場版ではなくTVシリーズの方である。「普通逆だろ」って話だが、ちゃんと理由があるので、記事の最後に説明するつもり。その際、簡単にではあるが、上映中の『劇場版 ハイスクール・フリート』の感想も述べる。

 

さて、TVシリーズの『はいふり』。結論から言えば僕はこの作品がかなり好きだ。特筆すべきポイントは、以下の3つ。

 

「萌え」と「奥ゆかしさ」を両立したキャラ描写
「山場」と「ヒキ」を意識した端正なシナリオ
男心をくすぐるマニアックなミリタリー要素

 

この3つについて、いつものごとくのんべんだらりと書き連ねていこう。

 

 

 

あらすじ

幼い頃、岬からブルーマーメイドの当時の旗艦・大和を見た岬明乃と彼女の幼馴染の知名もえかは、お互いブルーマーメイドになろうと誓いを立てる。時は流れ、9年後。明乃は神奈川県横須賀市にあるブルーマーメイドを養成する横須賀女子海洋学校に入学、そこでもえかと再会する。その後のクラス分けで、明乃は晴風の艦長に、もえかは武蔵の艦長にそれぞれ任命される。

晴風に乗艦した明乃は海洋実習に参加すべく、艦を出港させる。だが、彼女たちを待ち受けていたのは明るく楽しい学校生活ではなく、さまざまな出来事に翻弄される日々であった。(引用元: Wikipedia

 

 

「ここ」が見どころ

「萌え」と「奥ゆかしさ」を両立したキャラ描写

はいふり』の登場人物はほぼ全員かわいい女の子。いわゆる「萌えアニメ」というやつだ。

 

客観的に観れば筆者もキモオタに属する人間なのだが、実を言うと僕は「萌え」という感覚がいまいちピンとこない。特定のキャラに愛着をもつこと自体は少なくないが、どうも一般的に言われるキャラクターの「かわいさ」「萌え」みたいなものが筆者には刺さりにくいみたいなのだ。

 

そういうわけで、視聴前の時点では『はいふり』に特別良い印象を持っていたわけではなかったし、そこまで期待もしていなかった。が、その印象は嬉しくも覆された。

 

この作品、「人間関係」をしっかりと描いているのだ。

 

本作で活躍するのは、艦長 岬明乃(みけちゃん)を含む総勢31名の「晴風」船員。この31名が互いに支え合い、様々な難局を乗り越える中で、絆と団結力を深めていくというのが大まかな流れ。

 

ここでポイントとなるのは、30余名という人数の多さである。考えてみれば当たり前だが、これだけの人数が一致団結するというのは中々困難だ。学校のクラスに置き換えてみれば分かりやすいかもしれない。1つのクラスの中でも、各々が仲の良いグループを作ったり、グループ間でちょっとした溝があったり、単独行動を好むヤツがいたりしたはずだ。

 

はいふり』の晴風クラスの中にも、そういうメンバー間の親密度の差やリーダーに対する不満、個々人の意識の差みたいなものが確かに存在している。この、不協和音とも言えないくらいの個人個人の「ずれ」。キャラ数が多い作品ほど放棄されがちな要素だが、『はいふり』ではむしろこの「ずれ」が、登場人物の個性として視聴者に印象付けられる。

 

例として、晴風クラスのうち、船の動力部を担う「機関科」の面々に着目してみよう。まず、機関長の柳原麻侖。腕のいい機関技師で、天真爛漫・仕事熱心という、おおよそ理想的なリーダーと言える存在だ。ただ、若干ワーカーホリックなのと、やや空気が読めないところが玉に傷。次に、副長の黒木洋美は麻侖の良きパートナーで女房的存在。基本的に冷静で技術も高いが、艦長の明乃に不信感を抱いており(それもかなり手前勝手な理由で)、仕事と個人的感情を切り離せていないという側面がある。ある意味一番人間的なキャラクターかもしれない。一方、平船員の麗緒、桜良、留奈、空の4名は麻侖と洋美に従い仕事をこなすが、仕事外ではグチや噂話に興じるきらいがある。また、深刻にならない範囲で仕事をサボることもしばしば。組織のメンバーとして模範的な存在とは言えないが、この一般的な範疇の不真面目さが、晴風という組織に妙なリアリティを与えている。

 

他のセグメント(航海科、砲雷科、主計科)においても、程度の差はあれ、各メンバーの意識の違いが確かに感じられる。

 

さて、このように最初はまとまりに欠ける晴風だったが、話数が進むにつれて次第に結束を固めていく。『はいふり』ではこのプロセスが非常に丁寧に描かれる。『花咲くいろは』『よりもい』の記事でも説明してきたことだが、キャラクターに思い入れをもつには、彼ら彼女らの「性格」「行動」「きっかけ」がつながっている必要がある。要は、登場人物の心境・行動の変化に納得のいく理由付けが必要なわけだが、この作品はそこがおざなりになっていない。

 

では、晴風はなぜ「一枚岩」になれたのか?その理由は艦長の岬明乃に集約される。

 

組織が上手く機能するにはリーダーが「魅力的」でなくてはならない。「何となくこの人についていきたい」「この人なら何かやってくれそう」と、周りをその気にさせる求心力、カリスマ性。岬明乃はまさにその素質、フロントマンとしてのメンタリティーを持った人間である。

 

晴風クラス編成後、明乃はクルー全員の名前を誰よりも早く憶え、一人一人をあだ名で呼び始める。それも自然に。一人一人のメンバーに関心を持ち、気をかけ、愛情をもって接する。これはリーダーに最も求められる要素であると言っても過言ではない。

 

次に、土壇場での冷静さ。明乃は普段のほほんとしているが、肝心なところで肝が据わっていて、判断も迅速。頼れるところで頼れるというのは、リーダーの必要条件の一つだ。また、オンとオフのメリハリ、平常時とのギャップというのも、周囲を惹きつける大きな要因である。

 

加えて、明乃は「行動するならまず自分から」を無意識のうちに実践している。危険を伴う海上救助(第2話および第6話)も、クラスの皆が乗り気でないお祭の盛り上げ(第10話)も、周りに「何とかしよう?」と呼びかける前に自ら行動に移す。行動に責任と意志があるからこそ、クルーは彼女の判断を信頼できるし、彼女の力になろうと動く。他にも、多少強引なところ(距離を置こうとするクラスメイトにあだ名呼びし続けたり)であったり、時折見せる弱さや葛藤であったり、そういう人間的な魅力が岬明乃には備わっている。

 

つまり、晴風のメンバーが艦長の力になろうと団結していくプロセスには、実は納得のいく根拠がある。そして、人が人に抱く感情とその変化の過程を追えるというのは、登場人物の内面がしっかり描かれていることの何よりの証左である。


大局的に観れば、この作品において晴風クラスは「一人一人の人間の集合」として描かれている。晴風という組織をただの舞台装置として扱うのではなく、その中の人間の相互作用を丁寧に拾っているところに『はいふり』の本質があると言える。

 

ここまでキャラ配置や人間関係の部分に着目してきたが、単純に萌えアニメとして観ても『はいふり』は良くできている。まず、キャラデザが良い。(ちなみにキャラクタークター原案は『のんのんびより』原作者のあっと氏)。作画も安定しており、この手のアニメとしてはかなり上質な部類に入る。一方で、かわいらしい見た目に反してキャラの動きは非常にきびきびしており、場面によっては普通にカッコよかったりもする。キャラのかわいさと動きのキレのギャップも魅力の一つだ。また、脚本が百戦錬磨の吉田玲子さんなので、会話シーンのセリフの質もそのへんの量産萌えアニメとは一線を画す。

 

はいふり』のようにナチュラルな関係変化と萌え的なキャラのかわいさを両立している作品はそう多くない。ポップな装いだがなかなかどうして、身の詰まった作品である。

 

岬明乃と高坂穂乃果

完全に余談だが、この記事を書いているうちにあるキャラクターが『はいふり』の岬明乃と非常に近い魅力をもっていることに思い至った。『ラブライブ!』の主人公、高坂穂乃果である。彼女を観ていると、「人を動かすのは理屈じゃなくて感情である」ということがよく分かる。想いが強くて自分にも他人にも真っすぐ。まさにリーダーの理想像だ。注意深く観察すると、穂乃果のもつリーダーシップと明乃のそれがあらゆる点で共通していることに気が付く。まあ、だから何だと言われればそれまでだが。

 

 

「山場」と「ヒキ」を意識した端正なシナリオ

はいふり』はストーリーの大部分が船内あるいは船上で進行する。具体的には、一話Bパート以降、最終話Bパートまで、一部のキャラを除いてほぼ全員陸に上がらない。したがって、全話通して背景はずっと海か船内。はっきり言って代り映えしない。これはかなり特筆すべき点である。というのも、通常アニメおいて、背景の変化というのは様々な役割を担っているからだ。

 

まず、背景は、それぞれの場面を視聴者に印象付ける上でかなり大きなファクターになり得る。また、背景の変化は、「登場人物がどこにいるか」「何が起こっているか」という状況把握を視覚的に補助するだけでなく、視聴者が感じる「飽き」を抑制する働きがある。そういう意味で、登場人物が船から降りない(=背景が変化しない)『はいふり』は、映像作品として大きなハンデを背負っていると言える。

 

が、『はいふり』はこのハンデを感じさせないくらい、シナリオに強く惹きつけられる。何故か。各話に「山場」と「ヒキ」があるからだ。起承転結が端正であると言ってもいい。


例えば第一話。主人公 岬明乃の回想シーン、海洋高校への入学式、「晴風」クラスの結成が描かれる中で、本作のおおまかな世界観や主要人物の性格などの基本情報がすんなりと入ってくる。説明的なセリフやモノローグに頼ることなく、自然な会話を通して過不足ない状況説明がなされる。お手本のようなAパートだ。

 

Bパートに移り、海洋実習が開始。晴風をはじめとする各クラスの学生艦が目的地に向け出港する。機関のトラブルが原因で晴風は到着が遅れていたが、艦内はのんびりした雰囲気。海っていいなあ。セーラー服かわいいなあ。うん、萌えアニメも悪くない、なんて感じ始めていたところで事態が急変する。目的地で合流予定のはずだった教員艦、「さるしま」が晴風に向けて発砲してきたのだ。さるしまから逃れるため、魚雷で応戦する晴風。なんとか命中させ、敵艦の足止めに成功するも、艦内は混乱に包まれる。

 

「なんで打ってきたの!?どうなってるの!?」
「抜き打ちテストかな…」
「でも、本気で沈めに来てたよね」

 

そしてラスト、晴風艦橋にて「晴風が反乱を起こし、さるしまを攻撃した」という電信を受信。かくして晴風クラスは反乱の嫌疑がかけられ、彼女たちは追われる身となった。


視聴者を一気に物語に引き込む、急展開の第一話。前半で視聴者が物語に入り込んでいけるだけの情報を開示しつつ、テンポよく物語が進行する。可愛いキャラと穏やかな空気にあてられて「キャラ描写いいじゃん」なんて油断しきった視聴者を、突然の海戦シーンが一気にさらっていく。晴風クラスがおたずね者(もとい、おたずね艦)になったところで終わるという「ヒキ」も完璧で、とにかく続きが気になる。

 

この第1話を観た段階で、僕は『はいふり』が自分の好みの作品であることを確信した。そして、その認識は話数が進んでも裏切られることはなかった。話数毎の「山場」と「ヒキ」が意識的に設計されていることに加え、各話の繋がりがスムーズでぶつ切り感が一切ない。物語全体のテンポも良くて、ストレスなく観ることができる。また、前述の通り、本作はかわいい女の子同士の掛け合いが見どころのひとつだが、そういう萌えアニメ的空気感とシリアスな場面のバランスが絶妙な塩梅だ。そのアップダウン(メリハリ)のおかげだろう、12話通して中だるみがほとんど感じられない。


よく練られた真面目なシナリオ作りは非常に好印象。つくづく、吉田玲子さんの脚本ってハズレがない。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、『リズと青い鳥』、『ガルパン』、『SHIROBAKO』などなど、挙げだすとキリがないが、どの作品もとにかく物語の運び方が端正だ。あと、吉田氏の書くセリフには、独特の味わい深さがある。本作で言えば、第11話における宗谷真白(副艦長)の「私は艦長のマヨネーズになりたい!」というセリフがまさにそう。文字だけ起こすとただのギャグにしか見えないこのセリフが、一連の流れの中で聴くと驚くほどグッとくるのだ(吉田マジック)。

 

最初から最後まで舞台が海の上であるという視覚的デメリットを見事に跳ね返しているのは、ここまで説明してきたように、吉田氏の巧みなシナリオ構成に依る所が大きいと言える。脚本って大事だなあと、この作品を観て改めて感じた。

 

 

男心をくすぐるマニアックなミリタリー要素

はいふり』を語る上でミリタリー要素は欠かせない。ミリタリーを題材としたアニメと言えば、戦車アニメの『ガルパン』が真っ先に思い浮かぶ。ミリオタも唸る緻密かつマニアックな戦車描写からアニメ史に大きなインパクトを残した同作だが、『はいふり』はその「戦艦バージョン」といって差し支えないくらい、戦艦および海戦の描写がこだわり抜かれている。

 

ちなみに、筆者はミリタリーに関する知識を全くと言っていいほど持ち合わせていない。そこら辺の考察ないし解説はガチのミリオタがいくらでもやってくれていると思うのでそちらに預けよう。

 

で、門外漢の筆者が何を伝えたいかと言うと、ミリタリーに関心を持たない自分のような人間でもちょっと関心が芽生えてしまうくらい、『はいふり』の戦艦描写はマニアックで男心をくすぐるものであるということだ。

 

例えば攻撃手段一つとっても、主砲、副砲、魚雷、爆雷、噴進魚雷(これは架空のものらしいが)など様々で、それぞれ状況に応じた使い分けがある。また、砲弾を一発撃つのにも、敵艦との距離の計測、砲台の旋回操作、照準合わせ、弾道補正の計算など、様々なプロセスを経ていることが分かる。戦艦のタイプにも色々あって、晴風のように速力が出て小回りが効くが装甲が薄く火力にも劣るもの、武蔵のように巨大な船体と圧倒的な砲力を備えたもの、さるしまのように凌波性や耐航性、航続距離を向上させた小型艦など様々である。他にも、船内の連絡手段であったり、機関まわり(船のエンジン)のトラブルであったり、推測レーダーや電信機の使用であったり、そういう一つ一つの描写が極めて細やかだ。

 

とにかく描写が具体的なので、「ほー、そうなってんのか」と知識欲が満たされると同時に、「もっと知りたい」と好奇心が刺激される。そもそも、男子という生き物は、多かれ少なかれ、メカとか武器とかデカい乗り物に対するあこがれをもっているものだ。かく言う自分も、小学生の頃は戦車のプラモデルを親に頼んで買ってもらったし、今でも飛行機や旅客船などスケールの大きいものを間近で見ると胸が躍る。『はいふり』は、そういう全男子に遺伝子レベルで組み込まれている「マニア心」みたいなものをくすぐるのだ。

 

しかも、こういう武骨なミリタリーを、セーラー服の女子高生が扱うというギャップがまたいい。いや、この文面だけ見たら変態性しか感じないが、割と結構真面目な話である。何においても、ギャップは大事なのだ。『グラビティデイズ』の企画者が「空を飛び回るのがマッチョな男性だと、ちょっと嫌じゃないですか」と話していたが、まさにそういうことである。ミリタリーアニメの金字塔である『ガルパン』も、戦車に乗るのが武骨な男だったら全く受けなかっただろう。とは言え、もちろんただギャップを狙えばいいという単純な話ではない。ガルパン』と『はいふり』に対する高い評価は、ミリタリーと女子高生という「属性」の組み合わせそれ自体ではなく、キャラ描写とミリタリー描写の「質」に支えられていると言った方が正しいだろう。

 

 

まとめ&小言

総じて、萌えアニメ的な「ふわっとした」ビジュアルでありながら、硬質なメンタリティーを本質としている点が『はいふり』の魅力であると言えよう。萌えアニメがそれほど得意ではない筆者がハマってしまったのも、このためだろうと分析してみたり。

 

これだけべた褒めしておいて★4にした理由は三つある。まず一つはちょっとキャラが多すぎること。一周しただけではほとんどのキャラの名前を覚えられない。僕自身、今でこそ全キャラの顔と名前が一致しているが、自然と覚えられたわけではなく、能動的に調べ、覚えようとした結果である。全キャラに親しみをもった上で観るとかなり見え方も変わってくるし、人間関係にも奥行きが感じられるようになるのだが、如何せん一週目ではどの子がどの係でどういう性格なのか把握しきれない。そういう面で、ちょっと見る側に求めるハードルが高いところが最大のネック。二つ目の理由は、物語最終盤の11・12話がやや駆け足に感じたこと。ラストスパートの割には比較的あっさりしていたので、物語にグッと没入するような感覚は得られなかった。三つめは明乃ともえかの描写の薄さ。明乃は終始幼馴染のもえかにこだわり、最終話でもこの二人の友情が感動的に演出されるが、作品を通して二人の関係性はそこまで描かれないため、明乃ともえかのストーリーにはあまり感情移入できない。もえかは作中でもかなり重要なポジションにいるので、そこは少し残念だった。

 

はいふりTVシリーズに関してはそんなところ。あらゆる面で高レベルな、見ごたえのある作品だ。『ガルパン』好きな人は特に、見て損はないと思う。

 

 

『劇場版 ハイスクール・フリート』について

現在上映中の『劇場版 ハイスクール・フリート』だが…。こちらははっきり言って良くなかったです。

 

何が良くなかったかと言うと、シナリオと作画。TVシリーズのシナリオは上で説明したように、キャラの関係性・ゆるい掛け合い・シリアスな場面の盛り上がり・ヒキの巧さ、といった点が優れており、かなりバランスよく仕上げられている。一方で、劇場版の方は全てが中途半端に感じられた。今作のベースとなる交流試合という設定は効果的に機能していないし、新キャラクターもほとんど物語に絡んでこない。途中からは置物みたいになっていた。また、これが一番大きい問題かもしれないが、シナリオに軸がないように感じた。この作品で何を描きたかったのかが全く見えてこない。しろちゃんにスポットを当てているのは理解できるが、最後のシーンのしろちゃんの決断もそれまでの葛藤についても「よく分からない」の一言に尽きる。また、TVシリーズと違ってキャラのかわいさ、会話シーンのキャッキャウフフ感も薄かった(我ながら気持ち悪いな)。これは推測の域を出ないが、TVシリーズの方がそれぞれのキャラクター「らしさ」みたいなものがセリフを通して上手く描かれていて、そのせいで劇場版はキャラの魅力が薄れているように感じられたのかなと考えている。

 

映画を観た後、「脚本吉田玲子さんじゃないな」と半ば確信をもって調べてみたが、案の定吉田氏ではなかった。ここは強気に言わせていただくが、今回の劇場版のシナリオはTVシリーズより劣っている。まあ、筆者の中で今作に対するハードルが上がりすぎていたというのも多少はあると思うが…。正直残念だった。

 

作画については、後半にいくにつれて粗が増えていった。俗にいう作画崩壊みたいなものはなかったが、後半は安心して観られなかった。これも残念。

 


本当は劇場版のレビュー記事を上げる予定だったが、上のような感想になってしまったので、今回はTVシリーズのレビューとして記事を作成することにした。

 

とはいってもやっぱり僕は『はいふり』が好きだし、今後も続編が出たら絶対に観に行くつもりです。では、今回はこんなところで。