アニメノギス

理屈っぽいアニメレビュー

『宇宙よりも遠い場所』のレビュー:★★★★★(5.0)

 

青春の「甘美さ」「切なさ」「爽やかさ」。心に明かりを灯す魔法のような作品。 

 

今回紹介するのは、南極を目指す4人の少女を描いた青春グラフィティ『宇宙よりも遠い場所』(以下、『よりもい』)。アニオタ、各レビュー団体から高い評価を受け、その評価は大豊作だった2018年の中でも一二を争う。

 

『よりもい』は『ポプテピピック』や『けものフレンズ』のように作風の斬新さや奇抜さから話題になった作品とは異なり、純粋な質のみで評価された。ひたすらおもしろくて泣ける、青春アニメの王道を行く傑作だ。

 

僕は性格の悪い人間なので、アニメを観る際は無意識のうちに「粗」を探してしまう。そして多くの場合、その粗に気づいて多少なりともがっかりしてしまう。しかし、『よりもい』にはそういった粗が一切ない。シナリオ・演出・音楽・作画・美術の全てにおいて卓抜し、それらが化学反応を起こすことで完璧な作品世界を形成している。

 

また、本作は極めて密度が高い。僕は既にこの作品を5周以上観ているが、5回目でも新しい発見がある。凡作なら2クールかけて間延びしてしまうところを、『よりもい』は圧倒的な完成度を保ちつつきっかり13話でまとめきっている。

 

そして『よりもい』には作品の完成度に加え、観終えた後も人生の宝物にしたくなるような尊さがある。余韻の効果と持続性が強いともいえる。アドレナリンが出るような瞬発的な面白さとは異なる、爽やかな多幸感に包まれるような「感慨深さ」こそ、この作品が多くの人から愛される理由だ。

 

 

登場人物への感情移入

『花咲くいろは』のレビューでも書いたが、感情移入しやすい作品では登場人物の「行動」・「人格」・「背景」に整合性が保たれている。「背景(育った環境など)」がその人の「人格(性格)」を決定づけ、形成された「人格」の、外部からの刺激に対する応答として「行動」が生じる。『よりもい』ではこの因果関係に矛盾や欠陥がないため、キャラクター一人ひとりに深く感情移入できる。

 

主役となる4人の少女はそれぞれ異なる性格・価値観をもっており、南極を目指す動機も様々。本作では、そういった内面が非常に丁寧に掘り下げられる。また、彼女たちの「行動」と「言動」がそれぞれの「人格」と「背景」を裏切っておらず、彼女たちを一人の人間としてみた際に矛盾や不自然さが一切ない。だからこそ彼女たちに感情移入できるし、感動できるのだ。この一連のプロセスは『花咲くいろは』にも共通するが、『よりもい』のクオリティはさらにその上を行く。

 

 

「ざまあみろ!」

例えば、第9話で4人がようやく南極にたどり着いた際、南極に最も強い思い入れをもっていた小淵沢報瀬が最初に放った「ざまあみろ!」というセリフは、彼女の人となりとそれまでの苦労を色濃く反映している。一見このセリフは悲願を達成した感動的な場面には似つかわしくないように感じられるかもしれない。しかし、報瀬がどういう人間で何を原動力に頑張り続けてきたかを考えると、ここは「ざまあみろ!」以外の言葉はあり得ないのだ。

 

まず、報瀬が南極を目指した理由は母親にある。南極観測隊員だった報瀬の母は、報瀬が中学生の頃、南極でブリザードに巻き込まれ消息を絶った。そのことを知った報瀬は母の死を頭では理解している一方で、感覚として実感できずにいた。なぜなら、母の帰りを待つ日々と母が死んでからの日々に何の変化もなかったからだ。

 

「お母さんは帰ってこない。私の毎日は変わらないのに。帰ってくるのを待っていた毎日とずっと一緒で、何も変わらない。毎日毎日思うんです。まるで帰ってくるのを待っているみたいだって。変えるには、行くしかないんです。」

 

報瀬のセリフから分かるように、彼女は母の死を知らされた後も、母の帰りを待つ日々がずっと続いていた。この気持ちに区切りをつけるため、報瀬は南極に向かう決意をしたのだ。(少し話がそれるが、このセリフ一つ取っても花田十輝の脚本がいかに優れているかが分かる。訥々とした彼女の語りからは、まだ彼女の中で自分の気持ちを消化しきれていないことが伺える。また、彼女の行き詰った心境とその理由を、説明的な文体を用いることなく、百字弱のセリフで的確に表現している。)

 

もちろん、観測隊員の娘とは言え、女子高生が簡単に南極に行けるはずがない。報瀬は友達も作らずにバイトに明け暮れ、観測隊を説得するためにお金を貯めていったが、周囲の人間からは「行けるわけないのに」とバカにされ続けた。陰では「南極」と蔑まれ、バイトで稼いだお金を上級生にたかられたりもした。それでも報瀬は決して諦めず、他の3人(キマリと日向と結月)を巻き込み、あらゆる策を講じて何とか南極にたどり着くことができた。母が死んでからここにいたるまで、実に3年である。

 

次に考えるべきは報瀬の性格だ。報瀬は強情で諦めが悪く、障害があれば逆に燃えるタイプの女性だが、この性格は南極観測隊員である母親とその親友の藤堂吟(現隊長)に育てられる中で形成された。南極は行くまでも、そして着いてからも常に過酷な環境にさらされるため、観測隊員にはそれに屈しない強い体と精神が求められる。そんな二人に育てられた報瀬は、簡単に投げ出さず、自分で壁を乗り越えるという精神性が育まれている。特に、よく報瀬の面倒を見ていた吟は口下手で頑固な女性だが、報瀬の並外れた強さと世間ずれした(女子高生っぽくない)部分は彼女の影響が大きい。

 

こういう性格の報瀬がめげずに3年間も頑張れたのは周りに敵がいたからだ。報瀬は上述のように困難に屈しない強さがあるが、敵がいないところ(例えば観測隊の中)では急に弱腰になるきらいがある。報瀬は周囲から「どうせ無理だっての」と嘲笑されてきたからこそ、「なにくそ!」と負けず嫌いの精神でここまでやってこられたのだ。もちろん、報瀬が南極を目指すのは「お母さんが待っているから」であり、これが一番根っこの目的である。しかし、南極行きを達成できた要因として、「南極に行って全員見返してやる」というモチベーションが大きく寄与したことは確かだろう。

 

上述の背景があるからこそ、報瀬が南極にたどり着いた時最初に抱いた感情は歓喜でも感傷でもなく、「ざまあみろ!」だったのだ。普通ここは報瀬が母に思いを馳せて涙を流したり、一緒に来た3人の仲間と抱き合って喜びを共有したりする場面だと思う。並の作品ならこういう「きれいな」演出でお涙頂戴を狙うところだ。しかし、それでは「キャラが動いている」のではなく「キャラが制作者に動かされている」ことになる。そこにはリアリティも、身に染みる感慨深さも生まれない。

 

セリフに納得のいく自然さがあればこそ、キャラに活き活きとした実在感が生じ、その結果として視聴者は彼ら彼女らに強い思い入れを抱く。『よりもい』はまさに、その極地にいる。報瀬のこれまでの苦労、そしてその積み重ねの上にようやく目的地に到達した達成感を思うと、高揚感に胸が高鳴ると同時に、感慨深さから涙腺が緩む。これほど登場人物に感情移入できるのは、最初にも述べたことだが、やはり人物背景が丁寧に描かれており、かつ彼女たちの行動や発言がそれと矛盾せず自然であるからだ。また、報瀬たちが南極に到着するのは第9話だが、これは視聴者にとってはずいぶん長いと感じる話数である。この話数の積み重ねも報瀬の「ざまあみろ!」に重みを与えている。

 

魔法のような挿入歌

『よりもい』は劇伴(『宝石の国』藤澤慶昌が担当)、挿入歌、OP/EDのクオリティもずば抜けている。中でも特に重要な役割を果たしているのは挿入歌だ。

 

本作の挿入歌は、冒頭で述べた「感慨深さ」を視聴者に与える上での助燃剤として働いている。楽曲自体のクオリティと魅力に加え、場面の情緒にマッチした選曲、曲が流れ始めるタイミング、盛り上がりに応じて設定された絶妙な音量変化等、全てが計算しつくされており、完全に視聴者の涙腺を殺しにかかっている。

 

「いや、挿入歌のおかげでより感動できるとか、どんな作品でもそうでしょ」と言う人も多いと思うが、『よりもい』ほど挿入歌が全体の情緒と雰囲気作りに顕著に貢献している作品は他にない。具体的には、曲を聴くだけでその場面が想起されて自然と心が温まる、コンディションによってはちょっと涙ぐんでしまうくらい、この作品の挿入歌には魔法がかかっている。

 

いずれの曲にも共通しているのはアコースティックギターを主体としたウォームで素朴な旋律抒情的で作品のテーマとリンクした歌詞、そして伸びやかで透き通った女性ボーカルだ。表題の通り『よりもい』は青春の 「甘美さ」「切なさ」「爽やかさ」を詰め込んだ宝石のような作品だが、本作の歌はまさにそれを体現している。

 

例えば、第1話で報瀬が主人公の玉木マリ(キマリ)を南極に誘うシーンで流れる『ハルカトオク』は青春の爽やかさをそのまま音色にしたような楽曲だ。この曲は、後悔を恐れずに一歩前に踏み出すことをテーマにしている。以下は歌詞の一部だ。

 

そっと記した夢 言い訳ばかりして

ほったらかしにしていた 変わるのが怖くて

  

何があるのかも 何が変わるのかも

行ってみなきゃわからない さあ一歩前に

踏み出そう

 

キマリは高校生になってから「当てのない旅に出て青春したい」という願望を持ち続けていたが、直前になってしり込みしてしまう性格のせいでそれが実現できずにいた。第1話前半でも旅に出る直前で怖くなって引き返すという失敗を犯している。そんな彼女は成り行きで報瀬の南極計画を知り、彼女に一緒に来ないかと持ち掛けられる。周りから反対されても、無理だとバカにされ続けても、強い意志で南極を目指し続ける報瀬にあこがれを抱いたキマリは、自分を変えたいという想いから一歩踏み出す決意をする。

 

『ハルカトオク』がこのタイミングで流れるのは実に納得だ。内容がリンクしていることに加え、夕日の差す小丘で報瀬の一言とともに風が吹く演出が楽曲のもつ爽やかさとの相乗効果を生み出している。このシーンは泣ける場面ではないが、なんとも言えない多幸感がある。例えるならば、初夏の夕暮れの涼風のような爽やかさと幸福感だ。また、一周視聴し、彼女たちの旅を見届けた後にこのシーンを見返すと、今度は何とも言えない「感慨深さ」があふれ出してくる。

 

作中歌は全部で4つ用意されており、ほぼ全ての回の山場でいずれかの曲が流れるのだが、他のいずれの曲についても同様に魔法のようなきらめきが宿っている。そしてそのきらめきは、圧倒的な完成度のシナリオと各楽曲の親和性を極限まで高めたことと、場面ごとの演出や選曲の巧みさに由来している。『よりもい』をこれから観る人はきっとこの力を実感することになるだろう。

 

その他の魅力

また文字数が増え過ぎたが、この作品に関しては魅力の1/10も伝えられていない気がする。それほど、優れている部分が多い。以下ではそれらの要素を駆け足でピックアップしていく。

花田十輝の脚本

花田十輝はアニメ界では有名な高い実力をもつ脚本家だ。シリーズ構成も含めて携わった代表作は、『よりもい』以外に『STEINS; GATE』『響け!ユーフォニアム』『中二病でも恋がしたい!』『ラブライブ』や、本レビューでも紹介した『やがて君になる』など。このように名だたる作品を手掛けており、彼の名前だけで視聴を決められるほどに安定して面白い作品を生み出し続けるクリエーターだ。

 

本作でもその才能は遺憾なく発揮されており、とにかく一つひとつのセリフの質が高く、すっと心に染みこんでくるような自然さがある。また、この作品の脚本で特に素晴らしい点は、登場人物の感情の熱量をちょっとポエミーな文体で情緒たっぷりに表現しているにも関わらず、そこに一切くどさや暑苦しさがないことだ。それは、この作品の脚本が単にエモーショナルなセリフ単体でムードを出そうとする短絡的なものではなく、ストーリー全体を俯瞰して構成された理知的なものであるからだと僕は考えている。

 

『よりもい』は青春を全力で楽しむ4人の推進力で視聴者をぐいぐい引き込んでいく作品だが、この4人がきらきらと輝いて見えるのは花田十輝の脚本によるところが非常に大きい。

 

キャスティングの妙

声優の演技も優れている。主役4人の声優の他、その他の主要人物にも有名な実力派声優が多く起用されており、なおかつ各キャラと本当にマッチしたキャスティングがなされている。

 

有名な声優を採用するメリットとしては、演技の質が安定して高いことに加え、放映前から作品の認知度を高められるということが挙げられる。そして、アニメを商業作品として考える際、後者のメリットが特に重要であると言える。実際、知名度の高い声優を多く起用することで放映前の話題性や作品の下馬評を高めようとする、政治的なキャスティングに走る作品は少なくない。しかし、そういう作品はキャラと声優の声がマッチしておらず、「声が浮いている」ように感じる場合が多い。本来アニメの声優は知名度ではなく、実力とキャラとの相性のみで選ばれるべきなのだ。

 

『よりもい』は有名な声優が多く出演してこそいるものの、全てのキャラがハマリ役になっていて、一人ひとりが選ばれるべくして選ばれたんだなと感じる。

 

それを証明しているのが主人公キマリの妹、玉木リン役の本渡楓だ。本渡楓は2015年頃から声優として出演し始めた若手声優で、『よりもい』の放送が始まった2018年冬の時点では知名度はそれほど高くなかった。しかし、後に放映される『ヒナまつり』、『ゾンビランドサガ』、『色づく世界の明日から』などのビッグタイトルへの出演で急激に知名度を上げることになる。要するに、『よりもい』スタッフは主人公の妹という地味に重要な役に、ブレイク前の実力派声優を抜擢したというわけだ。しかもその配役が絶妙にハマっている。本作のキャスティングが知名度に依存したものではないことの何よりの証左と言えるだろう。

 

『よりもい』を観て感じたのは、やはり声優の力はアニメにおいては非常に重要であるということだ。感動的なシーンでは特にそれを感じる。『よりもい』では主要人物以外の一人ひとりにもしっかりとキャラ設定がなされており、その設定に基づいて最適なキャスティングを行っている。登場人物とその声に対するこだわりも、『よりもい』の「感慨深さ」に一役買っていると言えるだろう。

 

再現度の高い背景美術

花咲くいろは』や『やがて君になる』のレビューでも書いた通り、背景美術は緻密で美しい方が良い。背景が丁寧な作品はそれだけ作品の雰囲気作りを大事にしているし、作品の世界観からくる個性もより色濃くなるからだ。

 

『よりもい』はその点に関しても充実している。物語の前半の舞台となるキマリたちの生活圏は群馬県館林市がモデルになっている。制作陣は「この舞台を日本の平均的な田舎として描きたかった」という旨の発言をしている。実際その通りに作られていて、特徴的な建物やフォトジェニックな風景はほとんど登場しないものの、どこにでもありそうな普遍的な田舎の景色が非常に丁寧に描かれる。例えば、近所のお寺の裏の駐車場にある自販機、暗い夜道にぼうっと浮かび上がる駅の柔らかな明かり、学校の帰り道のコンビニなどが挙げられる。特筆すべき点はこれらの描写が写実的になり過ぎず、あくまで田舎の原風景としての寂寥感や美しさを抽出することに専念していることだ。また、細部まで丁寧に描き込まれているため(写実的でないということと相反するように感じるかもしれないが両立可能だ)、リアリティも備わっている。特に学校やキマリの家など、建物に感じられる生活感は他の学園もののそれとは比較にならない。

 

また、『よりもい』の背景作画・美術は再現度が非常に高いので、聖地巡礼も楽しめるという副次的なメリットもある。僕は実際に行ってみてとても満足したので、もし『よりもい』にはまったら行ってみることをおすすめする。

 

まとめ

随分熱が入ってしまった。ここまでいろいろ褒めちぎってきたが、テーマの普遍性正確な知識と情報に基づくリアルな南極描写など、本作を構成する魅力はまだまだ尽きない。一つだけ欠点を挙げるとすればサムい掛け合いがちょいちょいある点だが、そもそもギャグアニメじゃないし大して問題でない。

 

結局『よりもい』はどういう作品なのかと問われると、「感慨深い作品」と一言でまとめることができる。とにかく感慨深い。心をわしづかみにして揺さぶる作品だ。致命的なネタバレは避けてこの作品の魅力を紹介してきたつもりなので、ぜひとも実際に視聴してこの作品に心を奪われてほしい。最後に一つだけ。5回視聴した僕が一番ぐっと来たセリフは物語終盤における二人の「連れてきてくれてありがとう」というセリフなので、今後観る予定のある人はそれを意識してみてほしい。