アニメノギス

理屈っぽいアニメレビュー

『のんのんびより』のレビュー:★★★★☆(4.5)

 

こだわり抜かれた田舎描写。良質な日常系に「情緒」を加えた名作。

 

のんのんびより』は2013年と2015年に放送された日常系アニメ。日本の「ド田舎」を舞台に、全校生徒たった5人の小中一貫校に通う4人の女の子の生活が描かれる。かわいらしい4人の掛け合いを軸に、田舎ぐらし特有の日本的情緒やゆったりとした時間を味わえるのが魅力だ。

 

突然だが、一期のエンディングテーマ『のんのん日和』の歌詞をみて頂きたい。というのも、この歌詞が『のんのんびより』という作品を的確に表現しているからだ。

 

 太陽が沈みそうなのん

 澄んだ川 覗いて

 小さな魚みつけた

 名前も知らない花を摘んで

 ちょっぴり

 水の匂い

 

 「あ,あれってハクビシン?」

 「タヌキなのんっ」

 「アライグマでしょ」

 「イタチですよ」

 動物に会釈する横断歩道

 

 空と地面は遠く 人と人は近く

 細い水路を挟んで

 虫の声カルテット

 毎日が自由研究 開けた視界で

 どこをみても

 鮮やかな緑模様

 のんびりと歌うから のんきな風が吹いた

 

主役の4人、宮内れんげ(小1)・一条蛍(小5)・越谷夏海(中一)・越谷小鞠(中二)は同じ教室で授業を受け、休み時間には一緒に遊び、学校が終わってからも近所の山や田んぼ、駄菓子屋に遊びに出かける。ケータイもゲームも持っていなければ、近くにコンビニすらない。そういう環境で日々「工夫して遊ぶ」子供の知恵と柔軟さは観ていて楽しい。そしてこういう体験は今日ではめっきり見なくなったが、小さい頃に経験したことのある人は少なくないだろう。そういう人にとって『のんのんびより』は、懐かしい記憶を刺激する「エモい」作品であるわけだ。

 

僕は大阪出身なので、本作で描かれるような田舎で育ったわけではないが、それでも小学生の頃はいとこの兄ちゃんと駄菓子屋に行き、そこで買った駄菓子を公園で食べ、田んぼにカエルを捕まえに行ったりした。まだ入ったことのない近所の路地を探検するのも好きだった。小学校低学年の頃の遊びはそういう何気ないワクワクや生命力に満ちていて、多くの人にとって原風景になっていると思う(たとえ場所がド田舎ではなくても)。本作が描くのは誰しも持っている幼い時分の思い出の極端なバージョンということだ。

 

しかし、単に小学生の田舎暮らしを描いただけでこんなに人気が出るはずがない。『のんのんびより』は既に放送済みの一期・二期および劇場版に加え、第三期の制作も決定している。アニメファンなら分かると思うが、こんなに息の長い愛されアニメはほんの一握りだ。人気の要因は、基礎的な描写力と日常系としての完成度の高さにある。要素ごとに分解すると、こだわり抜かれた田舎描写、ひねりの効いた掛け合い、「ギャグ」と「いい話」のバランスの3つが特に優れていると感じた。この3点についてできるだけ簡潔に説明していきたい。まあ、毎度結局冗長になってしまうのだが。

 

 

こだわり抜かれた田舎描写

そもそも田舎っぽさってどういうところから生まれるのだろう。無人の駅?木造校舎?夜の自販機に群がる虫?縁側の風鈴?挙げだすとキリがない。色んな要素があるだろう。

 

のんのんびより』ではこういった田舎的要素が余すことなく贅沢に描かれる。そしてそのクオリティが半端じゃない。単に田舎を描くだけなら、草木と田畑を適当に描いてそこにセミの鳴き声をジージー鳴らしさえすれば最低限の目的は達成される。しかし本作の田舎描写はそういった記号的な表現にとどまっていない。抽象化されたイメージとしての田舎ではなく、実際の田舎を忠実に、アニメ的なタッチに落とし込んでいる。

 

例えば、キャラクターを大きく映し出しているようなシーンでも、その背後の木々に目を向けるとしっかりと植生が描き分けられていることに気づく。暗い色の木はスギやヒノキなどの針葉樹だろう。明るい色をしているのは落葉広葉樹、その手前には種々の低木類や草本植物がみられる。また、山全体が映る場合は深緑の部分と明るい緑の部分がモザイク状に分布した様子が描かれるが、これは良質な里山の針広混合林の特徴そのものである。木造家屋の画についても、年季の入った木材独特の湿った匂いが感じられる。さび付いたガードレールや標識、バス乗り場のベンチなどの人工物についても田舎特有の「くたびれた感じ」がよく再現されている。また、いかにもアニメ的なキャラデザを精緻な背景に違和感なく溶け込ませているのも何気にすごい。

 

画の質が高いだけでなく、田舎ならではの「小ネタ」や四季折々の要素も尽きることがない。「鮎はスイカのにおいがする」とか、「干し柿をつくる際は腐らないように湯がいてから干す」というような豆知識がちょこちょこ出てくるのも心憎い。

 

のんのんびより』を特別たらしめているのはこの正確な田舎描写であり、それは原作者の田舎愛と豊富な知識、そしてアニメ制作側の綿密なロケハンが合わさって実現していると言えるだろう。

 

 

ひねりの効いた掛け合い

あくまで個人的な見解だが、アニメにおける平均的な明るい会話劇は基本的につまらない。テンプレすぎて会話の出口というか、オチのつけ方が見えてしまっているし、無理に盛り上げようとする演出はかえってサムく感じる場合が多い。

 

で、正直実際に観るまではこの作品もそういう掛け合いが多いのかなと思っていた。女の子4人がメインの日常系で、かつキャラデザも平均的なアニメのそれだったからだ。

 

しかしふたを開けてみると、意外にもひねりの効いた切り返しや予想の上をいくオチのつけ方が数多く観られた。しゃべり方や会話の内容は子供っぽいのに、地頭の良さを感じさせるような謎のセンスがある。勢いだけのボケと突っ込みで笑わすというよりも、ぼそっとつぶやいた一言が賢くてじわじわと面白いというような方向性だ。ギャグなんて合う合わないの部分が大きいし理屈で説明するべきものでもないと思うので、一つだけ僕が気に入った場面を紹介しておく。夏海がれんげに花冠を作ってあげるシーンだ。

 

 夏海 「レンゲで作った冠のできあがり~」

 れんげ「お花の冠なん!?なんでなっつんこんな乙女チックなん作れるん?」

 夏海 「そりゃあうち、乙女ですもの~」

 れんげ「なっつんが乙女...。どいういうことなん?そのこころは何なのん?」

 夏海 「なぞかけじゃないんですけど...」

 

とまあ、こんな感じだ。ちょっと補足しておくと、小1のれんげが中一の夏海にこの返しをしているというのが面白い。普通小1が「そのこころは?」って返し思いつかんだろ...。れんげはボケてるわけじゃなくて天然で聞いているというのもじわじわくる。

 

れんげはこういうウィットに富んだ小学一年生だ。独特の感性と妙に大人っぽいドライな部分と子供らしい無邪気さが同居した、中々魅力的なキャラクターだと思う。そして、他の3人についても三者三様の魅力がある。

 

とにかく、『のんのんびより』のキャラ同士の掛け合いの温度感が、僕にとってはちょうど良かったのだ。うるさくなりすぎず、淡泊すぎない絶妙なバランス。ギャグは合うか合わないかだと言ったが、本作が多くの人から愛されていることを考えると、割と万人に好まれるバランスであるのは間違いないと思う。

 

「ギャグ」と「いい話」のバランス

ここまでで書いてきたように、『のんのんびより』はキャラ同士の軽妙な掛け合いを基本骨格としている。そしてこの作品の真に恐ろしいところは、愉快な日常パートで油断しきった視聴者に、不意打ちで心温まるストーリーを仕掛けてくるところだ。

 

例えば一期の第10話、れんげ、ひかげ、一穂、駄菓子屋の4人が山に登って初日の出を見る回は特に印象的だ。

 

この回では、駄菓子屋とれんげの回想シーンを交えつつ、駄菓子屋がれんげに抱く親心のようなものやれんげが駄菓子屋を慕う気持ち、そして親子とも姉妹とも言えない二人の微妙な関係性が実に丁寧に描かれる。

 

駄菓子屋が初日の出を見に行くことを知ったれんげは、この子としては珍しく、「しんどくなってもわがまま言わないし、言うこともちゃんと聞くから連れて行ってほしい」と姉の一穂に頼み込む。れんげが駄菓子屋を特別慕っていることがよく分かるシーンだ。その真剣なお願いに一穂たちも折れ、れんげを連れていくことに決める。山を登り始め、れんげは「大丈夫、歌うたって歩けば元気出るん」と周囲を鼓舞しながら先頭を歩く。その様子を見て駄菓子屋は「5年前は赤ん坊だったのにな」とつぶやく。

 

ここで回想シーンが挟まる。駄菓子屋が最初にれんげに会ったのはれんげが一歳の頃だった。一穂やひかげが不在のとき、代わりに世話をしてやっていたのだ。ミルクを人肌に温め、泣いたらおだて、同じ布団に入って寝付かせてあげる。最初のうちは慣れない子守りに悪戦苦闘する駄菓子屋だったが、れんげが自分になついてくるにつれ、次第にれんげに対する愛情が芽生えていった。

 

世話をしていた頃から年月が経ち、赤ん坊だったれんげが今では泣き言一つ言わずにハードな山登りにチャレンジしている。それを見て感慨深い表情を浮かべる駄菓子屋。しかし、どうやられんげにも限界がきたようだ。「帰りは歩けよ」と言ってれんげをおぶる駄菓子屋。頂上に到着し、駄菓子屋は疲れたれんげに暖かいお茶を入れてやるのだが、その気遣いとれんげを見守る穏やかな表情には愛が感じられる。二人並んで初日の出を拝んだ後、れんげは自分から駄菓子屋と姉に「あけましておめでとうございます」を言って回るのだが、この行動にも小学生なりの成長が見て取れる。

 

ラストシーンでは家に帰った駄菓子屋とれんげが並んで眠る様子が映されるが、これはかつて駄菓子屋が赤ん坊のれんげを寝付かせていた時の画と全く同じ構図である。れんげの成長とそれを見届けてきた駄菓子屋。二人の歴史にスポットを当てた回の締めくくりとして、非常に粋で上品な演出であると感じた。

こうやって文字に起こしたところで、この回の心温まる情緒を全然伝えられていないのが非常にもどかしい。駄菓子屋にくっつくれんげや、れんげの後姿を見守る駄菓子屋の眼差し、れんげの隣にいるのが姉ではなく駄菓子屋であるという構図、それら全てが、第10話、ひいては作品全体に説得力を与えている。この回で描かれているのは、家族や友人のような分かりやすい関係とは異なる、明確に定義できない「人と人との繋がり」だ。そして『のんのんびより』は、色んな種類の「人と人との繋がり」を丁寧に描いている。

 

笑える日常パートがずっと続くのも悪くないかもしれないが、こういう「まじめな」回が不意にやってくる方が個人的には好きだ。第10話以外にもハートウォーミングな話はいくつかあって、どれも忘れた頃にやってくる。あまり連発されても効果は薄まるので、そういう意味でも実に端正で戦略的なシリーズ構成であると言えよう。

 

 

まとめ&小言

のんのんびより』はあらゆる面で上質な日常系アニメだ。一言で表現するなら「ぬくもりのある作品」。心にたまった毒素を洗い流してくれるような効果がある。何かとストレス過多と言われる現代社会において、日々蓄積されるフラストレーションを消毒する娯楽作品として本作を推奨したい。また、面白いけど気合を入れて観ないと面白さが分からないという作品も多い中(本ブログでこれまでレビューしてきた作品もそういうものが多い)、一切頭を使わずに楽しめるというのもこの作品の美点だ。

 

評価を★-0.5したのは、強烈な中毒性みたいなものが欠けているからだ。すごく完成度が高くて良い作品なのだが、あと一つ、視聴者をあっと言わせるような何かがあれば完璧だったと思う。日常系に求めるべきものではないと分かってはいるのだが...。

次はどのアニメについて書こうか。自分の考えを文章にするのは楽しい。