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理屈っぽいアニメレビュー

『花咲くいろは』のレビュー:★★★★☆(4.5)

 

「花咲く、いつか」――上質なシナリオで描かれる挫折と成長の物語

 

美しい温泉街を舞台に、女子高生の仲居修行を描いた青春アニメ。同じく仕事を題材にした作品というと『SHIROBAKO』や『NEW GAME!』などの名作が思い浮かぶが、アニメとしてはニッチなジャンルと言える。特に本作は仲居修行が題材ということで、アニメよりも朝ドラにありそうな設定だ。

 

結論から言うと、『花咲くいろは』は「登場人物への感情移入のしやすさ」「上質なシナリオ・演出」「瑞々しい背景美術」の三点が特に優れていると感じた。また、物語に明確なテーマが存在し、そのテーマを軸として全26話が上手くとまとめられている。

 

 

花咲くいろは』の魅力

登場人物への感情移入のしやすさ

個人的に、登場人物に感情移入できない作品はドラマチックなストーリーであってもつまらないと感じる。登場人物に感情移入できない作品では、登場人物の行動が彼らの気持ちや性格に基づいていない。要するに、作者の都合で動かされている場合が多い。逆に、登場人物一人一人の人格がしっかり設定されていて、終始その人格がぶれない、あるいは変化する場合も必ず納得できるようなきっかけ(理由付け)がある作品は、登場人物に感情移入しやすいものだ。また、このような作品では、彼らが行動を起こす目的や理由も明確に描かれている。「人は感情で動く」といっても、その感情にだって理由やきっかけがあるはずだ。そこをおろそかにされてはどんな美談も台無しである。花咲くいろは』では、登場人物一人一人の人格および行動の理由が丁寧に描かれている。

 

例えば、主人公の松前緒花は母親から突然別居を言い渡され、祖母が経営する喜翠荘という旅館で住み込みのアルバイトをする羽目になる。普通の人ならそこで頑張って一人前の仲居になろうという発想には至らないが、緒花は喜翠荘での仕事に積極的に取り組むことで周りの人間との関係性を築いていき、自らの居場所を見出していく。緒花のこの前向きさにはちゃんとした理由(裏付け)があって、一つに母親がろくでなしだったことが挙げられる。幼いころから奔放な母親に振り回され続けてきた緒花は自然と「他人は当てにならない。頼れるのは自分だけ」という人生観を身に着けている。また、この生い立ちのおかげで年頃の女の子としては珍しく自分の意見をはっきり言える上、不遇に屈しない泥臭さもある。もう一つの理由は、「現状を変えたい」という強い想いだ。喜翠荘に移る前の緒花は変わり映えのしない東京での暮らしを退屈に感じるとともに、目標もなく漫然と暮らす自分自身を変えたいと思っていた。第一話の副題「十六歳、春、まだつぼみ」におけるつぼみとは目標を持たない緒花を指している。『花咲くいろは』はつまるところ、つぼみが花になる(緒花が自分の夢を見つける)ために試行錯誤する物語なのだ。緒花の強い想いは、「私、輝きたいんです!」という言葉によく表れている。

 

上述の通り、緒花の驚異的な行動力と求心力は、生まれた環境に由来する粘り強さと前向きさ、目標もなく燻っている自分を変えたいという意志によるものであると推察される。そして緒花が何故苦しい状況でも頑張れるのかを理解できるからこそ、彼女を応援したくなるし、心が揺さぶられるのだ。そういう意味では、本作はいいアニメの王道を行っていると言える。実際には緒花はただ強いだけの女性ではなく、鬱屈とした面や弱気なところもあるが、こういった多面性やメンタルの変化についても、しっかりと理由付けがされている。

 

また、主人公の緒花だけでなく同級生の押水菜子や鶴来民子をはじめとする登場人物のそれぞれに、活き活きとしたリアルな人格が与えられている。そして彼女たちの行動にも、各々の性格を裏切らない自然さがある。こういった内面の掘り下げが、喜翠荘でのドラマにリアリティを付与しているのだろう。

 

上質なシナリオ・演出

花咲くいろは』には一話完結で感動を狙うような強引な回がない。各回で登場人物の成長や関係性の変化を丁寧に描き、その蓄積を足場として山場の回を成立させるというシナリオの妙がある。また、登場人物の丁寧な心理描写やそれを引き立たせる優れた演出も大きな魅力の一つだ

 

特に第11話(副題:夜に吼える)は絶品だ。この回の前半、緒花はずっとろくでなしと思っていた母親にちょっと尊敬できる部分を見つけてしまい、複雑な感情を抱く。「敵」というのは、いた方が頑張れるものだ。「こうはなりたくない」「こいつのここが許せない」というように、否定する対象は努力の原動力にもなる。だからこそ敵の良い面というのは、簡単に受け入れられるものではない。否定してきた人間を認めるということは、これまでの自身を多少なりとも傷つけることに他ならないからだ。「自分が理想とする一面が母親にもある」ということに気づいたのは、緒花にとって非常にショックな出来事だったのだ。この足元が揺らぐような緒花の感情が実に丁寧に描写されている。また、緒花が母親の良い面に気づけたのは、これまでの回で緒花が喜翠荘で仕事に向き合い努力してきたからである。理想に近づこうと努力することで視野が広がった結果、自分の至らなさを逆に突き付けられるという一連の流れは非常に自然で納得がいく。

 

そして後半では幼馴染の孝一と再会する場面に移る。久々に会う親しい人に以前と異なる雰囲気を感じた時の、何となく心が離れてしまったような寂しい気持ちは、多くの人が理解できると思う。緒花と孝一のやり取りではこの類の心の機微に焦点を当てているのだが、その見せ方が極めて秀逸だ。例えば二人がファミレスで飲んだドリンク。緒花は昔と変わらずコーラのアイスティー割り(炭酸を薄めるため)を飲む一方で、孝一はブラックコーヒーを飲んでいた(余談だが後の回で孝一が実はブラックコーヒーが苦手だったことが明かされる)。こういう飲み物の違いや二人の目線、カメラワーク、第一話でのやり取りとの対比など、いろんな手法から二人の微妙な距離感が演出されている。また上述の演出に加え、緒花の孝一に対する想いを描いたこれまでの回の積み重ねが、第11話の掛け合いに重みを与えている。

 

そして、最後の最後に民子が助けに現れるところも良かった。これまでの緒花の痛みに重みがあるからこそ、最後の救いの手が安っぽくならず、感動的な演出として成立している。また、特殊エンディングも心憎い。使いどころとしてベストだし、曲自体も(nano.PIPEさんの『細胞キオク』)最高だと思う。「これだけは言える。こんなに心が動いた1日は初めてだ。」という緒花の最後のモノローグも、これ以外の言葉はあり得ないと言い切れるくらいしっくりくる。

 

肝心なのは、この11話の感動はそれまでの回の積み重ねの上に成り立っているということだ。緒花が自分なりに努力し、仕事への誇りと自信を持ち始めたところだったからこそ、11話での挫折には胸が痛んだし、最後は号泣してしまった。まさにカタルシスだ。

 

瑞々しい背景美術

本作の没入感に大きく寄与する要素として、瑞々しい背景作画が挙げられる。細部まで丹念に描き込まれた喜翠荘と湯乃鷺の町並みには、空気まで感じられるような実在感がある。とりわけ、老舗旅館らしい趣が魅力的な喜翠荘の描写は、本作を支える重要な要素の1つだ。板張りが軋みそうな年季の入った木造建築、庭池が見える涼しげな縁側、いちいち美味そうな日本料理、大正ロマン的なくすんだ色ガラスや螺旋階段、良く磨かれた石床の大浴場。そういった一つ一つが実に丁寧に描かれていて、「行ってみたい!泊まってみたい!料理食べたい!」と思わせる魅力にあふれている。仲居の緒花や菜子が行き来する廊下や客室では、古い木造建築独特の少し湿ったような甘い匂いが感じられ、民子が働く厨房では焼き魚のうまそうな照りとともにグリルの熱気まで伝わってくる。朝靄のかかった早朝の喜翠荘には幻想的な美しさがあり、肌寒さと静けさ、草花に露が降りる湿度まで表現されている。

 

少し大げさな言い方をすると、この優れた描写力によって、緒花たちが活き活きと働くその空間に自分自身もいるかのように感じられるのだ。そのまま現実にあっても違和感が一切ないほど、喜翠荘は一つの旅館として完成されている。背景美術が美しいアニメは他にもたくさんあるが、これほど舞台に実在感のあるアニメはすぐには思いつかない。また、『花咲くいろは』は写実的な方向に走り過ぎていないのも個人的には嬉しい(好みの話になるが、『君の名は。』のカリカリした高解像度過ぎる描写は苦手だった)。残念ながら喜翠荘のモデルとなった旅館は既に潰れているが、湯乃鷺温泉街のモデルとなっている石川県の湯桶温泉には行っておきたい。

 

まとめ&小言

一言でいえば『花咲くいろは』は愛せるアニメだ。面白い、かっこいい、切ない等、アニメを形容する言葉は色々あるが、個人的に『花咲くいろは』は愛せるアニメという表現が一番しっくりくる。こういう言葉が浮かぶ要因は、登場人物一人一人の活き活きとした魅力や、彼女たちに思わず感情移入してしまうような見せ方の上手さ(シナリオ・演出・作画)にあると思う。

 

さて、ここまでべた褒めしてきたが、この作品にも鬼門というか、注意点みたいなものがある。それはP.A.WORKS特有の序盤のクセの強さだ。第一話のAパートからいきなり緒花が喜翠荘への引っ越しを余儀なくされるところから始まり(それも、母親の彼氏が借金こさえたからという訳の分からない理由で)、引っ越し前日に孝一から告白され、旅館に着いて直ぐに同い年の女の子から「死ね」と暴言を吐かれ、女将にはビンタされて、と初回からとにかく情報過多だ。その上登場人物も非常に多いため、多くの視聴者は置いてけぼりを喰らっているように感じると思う(僕もそうだった)。序盤の情報過多に加え、緒花たちが使う不思議な造語もこの作品のクセの強さに加担している。代表は「ホビロン(本当に、びっくりするくらい、論外)」。こういう独特なノリがP.A.WORKSの作品には結構あって、慣れるまでとっつきにくさの原因となっている。例えば同制作の『SHIROBAKO』では、「どんどんドーナツ、ドーンといこう」という謎フレーズが開幕から飛び出し、初回でおびただしい数のキャラが登場する。『花咲くいろは』は『SHIROBAKO』ほどではないにせよ、同じ種類のとっつきにくさがある。

 

とはいえこの点を踏まえても『花咲くいろは』は文句なしの良作。良い作品に出合うと宝物が増えたような嬉しさがあるから、アニメはやめられない。