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理屈っぽいアニメレビュー

『メイドインアビス』のレビュー:★★★★(4.0)

 

美しくも残酷な世界に沈み込む。ファンタジー作品の一つの解答。

 

今回紹介するのは2017年夏放送のTVアニメ『メイドインアビス』。続編にあたる劇場作品『メイドインアビス 深き魂の黎明』が現在公開中だが、今回のレビューはTVシリーズの方。一応記事の最後に劇場版の方についても軽く感想を書いているので良ければそちらもどうぞ(偶然にも前回の『ハイスクール・フリート』の記事と同じ構成)。あと、本記事は重大なネタバレは含んでいないので、未見の方も読んでもらって大丈夫だと思う。まあ、どうしても多少のネタバレはありますが。

 

 

 

 

あらすじ

隅々まで探索されつくした世界に、唯一残された秘境の大穴『アビス』。どこまで続くとも知れない深く巨大なその縦穴には、奇妙奇怪な生物たちが生息し、今の人類では作りえない貴重な遺物が眠っている。
「アビス」の不可思議に満ちた姿は人々を魅了し、冒険へと駆り立てた。そうして幾度も大穴に挑戦する冒険者たちは、次第に『探窟家』呼ばれるようになっていった。
アビスの縁に築かれた街『オース』に暮らす孤児のリコは、いつか母のような偉大な探窟家になり、アビスの謎を解き明かすことを夢見ていた。そんなある日、リコはアビスを探窟中に、少年の姿をしたロボットを拾い…?(公式HPより引用)

 

探窟家見習いの少女“リコ”と謎のロボット“レグ”がアビスの最奥を目指すファンタジーアドベンチャー。深度が深くなるにつれアビスの環境は過酷になり、二人の旅も困難を極めていく。

 

道中の神秘的な生物や美しい景観が見どころの本作。アビスという完成された世界に深く潜っていくような没入感。リコ・レグと共に冒険しているかのようなワクワク感が味わえる。

 

キービジュアルの通り、美術背景は非常に美しく、キャラクターデザインは柔らかく愛らしい。一見すればハートフルな印象さえ受ける。

 

ところが……である。

 

メイドインアビス』ほど「ハード」な作品はそうはない。

 

 

「ここ」がすごい 

メイドインアビス』の魅力はその重厚な世界観に集約される。

 

世界観は当ブログで度々言及してきた事象だ。例えば、『宝石の国』においては、綿密に練られた設定、優れた美術背景および音響(+音楽)が調和しスキのない世界観を作り上げることで、作品世界への強い没入感を生みだしているということを話した。

 

メイドインアビス』の世界観についても同じことが成り立っているが、注目すべきは完成度という「絶対値」ではなくその「方向性」である。

 

物理世界としての『アビス』

サバンナに瀕死の人間を一人放り込んだとする。武器を持たず動きも緩慢な彼は、なすすべなく肉食獣に捕食されてしまうだろう。食い荒らされた肉体はやがて腐敗し、強烈な臭気を放つ。死体には虫が群がり、様々な浸食を受け、最終的に土に還る。

 

大自然は美しくはあるが、ただ美しいばかりではない。そこには汚く残酷な生と死の営みが存在する。メイドインアビス』で描かれるのはまさに、このような物理現実と違わぬグロテスクを内包した自然界だ。

 

生と死が(物理的な意味合いで)グロテスクなのは、生物が肉体で出来ている、すなわち「概念」でなく「物質」であるからだ。考えてみれば当たり前のことである。だが、この当たり前の事実、言うなれば生物の「肉体性」(より広い意味で「物質性」)をアニメーション作品で実感する機会は極めて少ない。

 

メイドインアビス』はこの「肉体性」・「物質性」が感じられる稀有な作品の一つである。架空世界でありながら、生き物故のグロさや汚さ、言うなれば、生き物が本当に「生き物」であるということを誤魔化さずに描いている。そして、生き物が真に「生き物」として描かれるからこそ、『アビス』という自然界には生態系として当たり前の残酷さが備わっている。これが本作の最大の特異性である。

 

「それだけ?」と思うかもしれない。しかし考えてみれば、架空の動植物が形成する「ファンタジー世界としての景観美」を保ちつつ、生物のリアルな生態に正面から向き合っている作品などほんの一握りだ。

 

生物の肉体的な側面(汚れ・グロテスク)まで描くというのは、映像美を重視するファンタジー作品においてはリスクになりかねない。視聴者が通常ファンタジーに求めるのは、幻想的で美しい非現実なのだから。しかし、そういうやり方は見栄えはする一方で、どこか薄っぺらで空虚なものになりがちである。特に、ドラゴンや亜人種などが登場するハイファンタジーではその傾向が顕著で、生き物の描かれ方が概念的な範疇にとどまってしまっているものが非常に多い。一方、『アビス』は神秘的な架空世界でありながらも抽象の域を逸脱しており、感触・匂い・質量などの「物質性」を伴う物理世界として成立している。

 


第9話を例に見てみよう。この回、リコは『アマカガメ』という巨大生物の胃袋に取り込まれる。食虫植物のウツボカズラのスケールを大きくしたような動物で、匂いでおびき寄せた獲物をさながら落とし穴のように捕食する。胃袋に落ちたリコの周りでは、見るからに酸性の強そうな胃液に消化途中の小動物がプカプカ浮かんでいる。アマカガメから脱出するべく、リコは胃の内壁をナイフで繰り返し突き刺す。最終的にアマカガメの体を突き破り、流れ出る大量の体液と共にリコは脱出に成功する。

 

このシーンだけでも、本作が自然における物質的な側面、「肉体性」「物質性」の描写に強くこだわっていることが分かる。アマカガメの内壁にナイフを突き刺す際の肉の弾力感や返り血、リコが体液と共に「べちゃっ」と地面に放り出される様子など、描写の一つ一つから生々しい感触が伝わってくる。その辺のファンタジーものとは比較にならないくらい、生き物が「生き物」として感じられる。

 

画は決してリアル路線ではないものの、描写の細やかさ・動きの巧さによって、柔らかなタッチの映像に得も言われぬ生々しさが生じている。生き物の毛並み一つとっても、種毎に質感が異なって感じられる…というのはちょっと言い過ぎかもしれないが、そんな表現を使いたくなるくらい描写に明確な意図と具体性を感じる。

 

また、本作は映像表現だけでなく、動植物の生態や地理地形に関する設定も綿密に作り込まれている。各設定が有機的に結びついているためだろう、『アビス』には多くのファンタジー作品に感じる「嘘くささ」がない。ある生物がどのような生存戦略をとっているのか、生態ピラミッドのどこに含まれるのか、個体数は多いか少ないかというところまで何となく把握できてしまうほど、『アビス』という生態系は完成されている。

 

このように、『メイドインアビス』は空想世界としての映像美(視覚的快感)は押さえてはいるが、より本質的なところで、その世界観は実に「地に足着いた」、非常にソリッドなものであると言える。あらゆる点において飛躍がなく、カチッといているのだ。基本的には現実の物理法則に基づいているし、それ以外の要素(後述の『上昇負荷』など)についても合理的なロジックが用意されている。いわば『アビス』は「架空の物理現実」なのだ。レグの『火葬砲』が「ファイアボール」じゃなく「熱線」なのも、そういう意味では道理であると言える。

 

 

スター・ウォーズ』に見る「汚れの美学」

ところで、『メイドインアビス』における生物の汚さやグロテスクの表現には、『スター・ウォーズ』の「汚れの美学」に通ずるものがある。

 

スター・ウォーズ』がSFの金字塔として空前絶後のヒットを起こした背景には、そのシナリオと世界観の完成度もさることながら、映像における「汚れ」の表現が大きな寄与を果たしていると筆者は考えている。『スター・トレック』など、ツルピカホワイトな宇宙船が主流の中、『スター・ウォーズ』はオイルの黒ずみや砂ぼこりなどの物理的な汚れを敢えて克明に描くことで、それまであったSFの「かっこいい」の価値観を根本から塗り替えたのだ。汚いからこそリアルで、汚いからこそかっこいい。『スター・ウォーズ』はそういう魅力で成り立っている(と、筆者は考えている)。

 

メイドインアビス』におけるリアルな自然の魅力は、ジャンルの垣根こそあれど、原理としては『スター・ウォーズ』のそれに近いように思う。

 

幻想的で風光明媚なだけがファンタジーじゃない。残酷だからこそリアルで、残酷だからこそ美しい。これが『メイドインアビス』がファンタジー作品として王道でありながらも極めて特異的な理由だ。

 

 

『上昇負荷』と「痛み」

この作品が「ハード」であるもう一つの要因に『上昇負荷』(アビスの呪い)がある。『アビス』内にいる人間が高さ方向に上昇すると、移動地点の深度に応じた『上昇負荷』がその人間にかかる。

 

負荷は様々で、アビス下層に向かうほどそこから上に戻る際の『上昇負荷』は深刻になる。最もマシな第一層でも頭痛と嘔吐。第三層では幻聴・幻覚、第四層では出血・激痛。こんな具合にハードすぎるアビス探窟だが、本作はこの『上昇負荷』についても軽く引いてしまうくらい生々しく描写する。

 

例えば第四層の全身流血。思わず目を背けたくなるほど痛々しい。こんなに愛らしいキャラクターによくもこんな残酷な仕打ちができるなと作者の人格を疑ってしまうくらい(失礼)描写が惨い。

 

だが、『メイドインアビス』のこの特性は何も『上昇負荷』に限った話ではない。道中、リコとレグは『上昇負荷』以外でも(物理的にも精神的にも)かなり痛い目をみるが、その深刻度がとにかくえげつない。キャラクターデザインが柔らかいせいで、余計にエグさが引き立つ。

 

観ている側としては辛いものがあるが、この「痛み」の描写は本作において極めて重要な役割を担っている。どういうことかと言うと、ここまで説明してきた『アビス』の「物理世界」としての実在感は、キャラクターの感じる「痛み」によってより確固たるものになっているのだ。

 

『アビス』が概念的な架空世界を脱却し、感触や質量や運動法則などの物質性を有する「物理世界」として成立している理由は、動植物の生態や動き、およびそれらを囲む自然環境の設定・描写が具体的であるからだと説明した。『アマカガメ』の例で言えば、胃液の「臭気」、内壁の「肉感」、リコの動きの「質量感」などのファクターが働くことで、一連のシーンに「物理世界」としての実在感を与えているのだった。

 

このような因果関係を考えたとき、「痛み」は「物理世界」としての実在感に寄与する最も強力なファクターであると言っても過言ではない。というのも、人間が自らの肉体の存在を最も強く意識するのは「痛み」を感じるときだからだ。

 

「キャラクターが物理的に傷つく描写なんて別に珍しくないのでは?」と思うかもしれない。実際珍しくはない。ただ、メイドインアビス』は「痛み」の表現に対する意識の割き方が尋常じゃない。映像としての表現力もさることながら、声の方も迫真の演技である。激痛に対する身体の反射的な動き、内臓から絞り出されるような絶叫。観ていてぎゅっと体が強張ってしまうくらい、リコの痛みがありありと伝わってくる。それこそ痛いくらいに。この生々しい「痛み」の表現によって、彼女たちの「肉体」が確かにそこにあるように感じられるのだ。

 

正直なところ僕はグロ描写が苦手で、その手の描写が頻出するデスゲームやホラーなんかも大の苦手だ。本作においても、リコとレグが苦しむ姿を見るのははっきり言って辛かった。ただ、『メイドインアビス』のグロ描写には明確な意義がある。それは、

自然界における生存競争のリアルな残酷さをありのまま見せること

および、

生物の「肉体性」を補強し、「物理世界」としての実在感をより確固にすること
の2点である。

 

仮にこの強烈な「痛み」の描写がなければ、『メイドインアビス』は幅広い層に受け容れられるまろやかなファンタジー作品になっていた一方で、「物質世界」としてここまでの実在感は保っていなかっただろう。そういう意味では、この作品においてグロ描写は必要不可欠な要素だったと言える。「良薬口に苦し」である(違うか)。

 

 

まとめ&小言

何だか物質世界だの肉体性だの気取った言葉を多用してしまった。だが結局のところ、メイドインアビス』の魅力は美しくも残酷な世界観であると一言でまとめることができる。

 

王道なハイファンタジーの皮をかぶりながら、その実どこまでも物質的でソリッドで生々しい世界観。愛らしいビジュアルに隠れた骨太な描写力。ハイスクール・フリート』のレビューで「何事においてもギャップは重要である」と話したが、これもある種ギャップであると言える。やはり、ギャップは大事だ。

 

さて、ここまで美点ばかり挙げてきたが、例のごとく良くないと感じた部分も指摘しておこう。

 

個人的にはこの作品は序盤のシナリオが冗長であると感じた。具体的には、リコとレグがオーゼンのシーカーキャンプに到着するまで。終盤の展開はスリリングで最高なのだが、それと比べると序盤はどうしても物足りなく感じてしまう。

 

また、序盤の物足りなさにも関係するポイントだが、この作品はキャラクターの魅力が薄い。と言うより、会話シーンのおもしろみが薄い。特に序盤、リコとレグが『アビス』の淵に位置する街『オース』で生活している間はこの弱みをモロに感じる。終盤に登場するケモ耳キャラがものすごく良い味を出していて、このあたりからキャラ同士の掛け合いも非常に面白くなってくるのだが、如何せん最終盤の話なので全体を通してみると会話シーンは物足りなかったと言わざるを得ない。僕がこの作品に『宝石の国』ほど夢中になれなかった原因はこのあたりにあると分析している。

 

 

『劇場版 メイドインアビス 深き魂の黎明』について

最後に、簡単に劇場版の感想をば。

 

結論から言えば、本作はTVシリーズも含めた『メイドインアビス』全体のストーリーの一部として考えれば100点満点の出来だった。ただ、この映画単体でおもしろかったかと問われると、正直ちょっと微妙だ。

 

『深き魂の黎明』は、『メイドインアビス』のストーリーの中でもかなりの山場に相当する。常時クライマックス。常に緊迫しており、心休まる暇がない。よく言えばスリリングなのだが、悪く言えばメリハリ(山と谷)がまるでない。記事の序盤で『メイドインアビス』の魅力はファンタジー的な美しさと「物理世界」としてのリアルな残酷さを両立している点だと話したが、今回の劇場版はその「残酷」な部分だけを抽出して煮詰めたような塩梅だ。

 

ストーリーだけでなく映像的にもひたすら陰鬱。TVシリーズに観られた美しく壮大な景色は見る影もなく、終始暗黒の世界が広がる。100分通して、ほとんど色味が変化しないので、精神的にしんどい。

 

また、戦闘シーンの作画は圧巻だったが、ちょっと尺が長すぎると感じた。個人的には『メイドインアビス』の良さはそこではないと考えているし、どちらかと言えばリコとプルシュカの内面描写の方にもっと時間を割いてほしかった。僕にはリコがプルシュカに感情移入する理由が説得力に欠けるような気がしてならなかった。

 

作画・美術・音響など、アニメーションとしてのクオリティ自体は極めて高い水準だった一方、シナリオ面は神作画の戦闘シーンでゴリ押している感が否めなかったので、僕は正直TVシリーズの方が圧倒的におもしろいと感じた。

 

とはいえ、繰り返しになるが、『深き魂の黎明』は『メイドインアビス』の中でも特にハードなパートなので、陰鬱になるのは仕方ないと言えば仕方ない。むしろその陰鬱なパートを高いクオリティでひたすら陰鬱に仕上げたのだから、そういう意味では100点満点の出来であると言える。

 

というわけで、今回の劇場版はちょっと判断に困るというか、評価しづらい作品だった。本記事をTVシリーズのレビューにしたのはそういう理由。

 

そうそう、続編の製作が決定したので、本レビューを読んだ方はこれを機にTVシリーズから視聴してみることをおすすめする。最後の方ちょっと辛口な評価になってしまったが、間違いなく面白いと断言できる作品なので。

 

黎明卿の地獄を乗り越えた先には、またワクワクするような冒険の旅が待っている、ハズ。