アニメノギス

理屈っぽいアニメレビュー

『劇場版 SHIROBKO』の感想:★★★★★(5.0)

 

戦って、足掻いて、輝いて。

 

劇場版『SHIROBAKO』を観てきたので今回はその感想(ネタバレ全開)。

 

これまでの記事の書き方は、作品全体を通して一番伝えたいことを定めた上でそれをなるべくロジカルに説明していくというものだったが、今回はちょっと趣向を変えて、筆者が映画を観て感じたことを備忘的に書き留める形式にしようと思う。なので、今回はいつものレビューみたいに明確な骨子(主張と結論)はなく、ただ僕が漠然と感じたことを述べていくだけになるということを先に断っておく。

 

今回に限ってそういうスタンスを取ることにしたのは、この作品に理屈をこねるのはなんだか無粋な気がしたからだ。自分の方針には反することになるが、たまにはこういうゆるめの記事があっても良かろう。

(↑全部書き終えてから読み直したが結局理屈っぽくなってた)

 

ではぽつぽつ書いていくとする。

 

 

 

 

キービジュアルについて

一年前くらいだっただろうか。ティザービジュアルを見て狐につままれたような心持ちになったのを覚えている。地味すぎる色合いと険しい面持ちは、演出のポップさと目まぐるしいテンポがウリの『SHIROBAKO』にマッチしない。パッとしない見た目は、ティザービジュアルとしては正直微妙だと思った。

 

このシリアスさと地味さは、狙った「ハズし」というか、ある種の冗談(ギャグ)みたいなものだと、当時の僕はそう解釈していた。

 

しかし、である。映画を観た後ではこのティザービジュアルの見え方が全く違っていた。シアターを出た後、ロビーに大きく掲げられたこの絵を再度見て、「そういうことだったのか」という納得と、大きな伏線を回収したような気持ちよさを覚えた。アニメーション制作の物語とは一見甚だしく乖離しているこの一枚絵は、その実、この作品とあまりにも符合しており、作品の本質を射ていた。

 

『劇場版 SHIROBAKO』のテーマは「戦う」ということ、そして「何のために戦うのか」ということだ。恐らく多くの人がそう感じたと思う。

 

生きていれば嫌なことが起こる。むしろ、体感的には嫌なことの方が多いと思う。そして、辛い状況に追い込まれる原因は、何も自分の選択ミスや力量不足だけではない。自分は悪くないのに、周囲の人間の悪意や予期せぬアクシデントで一気にどん底に落とされることもある。

 

「タイマス事変」と「SIVAの版権騒動」は、そういう世の中の理不尽の象徴として一般化することができる。

 

ティザービジュアルに描かれている瓦礫の山は、「タイマス事変」という理不尽によって瓦解したムサニそのものだろう。覚悟を決めた表情の宮森がその「理不尽」の上に立って社旗を掲げる構図は本作の大局そのものであると言える。仲間は散り散りになり、お金も時間もなく、「アニメが好き」というかつての原動力も失いつつある、そんな絶望的な状況でも、宮森は立ち上がり前を見据える。そこに差し込む光は、どん底の宮森が見出す、あるいは灯し出す、ほんの僅かな希望の光だ。

 

だからこの絵は、本当にこの作品のテーマがそのまま形になったようなものなのだと、映画を観終えた僕は腑に落ちた。

 

 

各キャラについて思ったこと

本作を観ていて最も楽しかったのは、4年という歳月を経たキャラクター達の様々な変化だった。

 

「タイマス事変」を経て会社を離れた者、目標ができた者、心が折れた者、夢に大きく近づいた者。本当に、一人一人に色んな変化が観られた。

 

僕の中でムサニのメンバーはしっかりと息づいていたので、数年ぶりの知人に会うみたいな視点で観てしまって、フィクションなのにフィクションとは思えないというか、アニメの中の出来事として処理することが難しかった。それくらい僕がこの作品のキャラクターに入れ込んでしまっているということなのだろう。(SHIROBAKO』の一番すごいところはあれだけ膨大な数の登場人物がいるのに、ちゃんと一人一人に感情移入できてしまうところだ)。

 

今回の感想は備忘録的なものだと宣言してしまっているし、せっかくだからそれぞれのキャラに感じたことを一人ずつ書いていくことにする。

 

・宮森あおい

「強くなったなあ」と感じた。いや、もとからメンタルは強かったけど、その質が4年前とは大きく異なる。楽しいから、アニメを作る人が好きだから、目の前の仕事に忙しいから、という理由でどんどんドーナツしていた頃の宮森と違い、今作の宮森はそういうキラキラした、いわば怖いもの知らずの強さみたいなものは薄れている。人間的な脆さがしっかりと描かれているのだ。例えば、散らかった宮森の自室は、彼女の精神的な摩耗をそのまま反映しているかのようにリアルで、あれを見ているだけでなんだか泣けてきた。

 

だからこそ、今作の宮森には、TVシリーズの頃とは全く別の魅力がある。

 

今作の宮森を突き動かしているのは「好き」というふわふわした初期衝動ではなく、長い暗闇の中で辛うじて残った意地と誇りのような何かである。(そして、それがまさに本作のテーマだ。これに関しては後述する)。

 

TVシリーズの頃は「みゃーもりすげえ!」とか、「やさしくて強くてかわいいとか無敵かよ…」とかそんな感じで観ていたし、そのしたたかさが彼女の魅力だった。一方、劇場版で描かれる宮森は(TVシリーズにも増して)、心の底から応援したくなる、観ていて自然とこぶしに力が入ってしまうような、一人の戦う女性だった。

 

やっぱり人間的な脆さが描かれると一気にキャラ描写が奥深くなるなあと感じた。TVシリーズの頃から宮森は大好きだったが、本作を観てより一層好きになった。

 

 

・安原絵麻

相変わらず繊細な女の子であることには変わりないが、言動の端々や声のトーンからこの4年間で培った自信が垣間見えた。

 

ビビッて作監補佐を引き受けるか迷っていた頃の絵麻はもういない。今ではもう立派な作画監督で、木下監督が二つ返事で作監を任せちゃうくらい実績を積んでいる。絵麻が綸子はんの作監をするという構図も新鮮で面白い。絵麻の成長を感じる。でも円さんにダメ出しを喰らって沈んじゃうところはやっぱり絵麻っぽくて少し安心したり。

 

絵麻と宮森がクリエイター・プロデューサーとして対話するシーンは何とも言えない感慨深さがあった。あと、絵麻が宮森に制作進行のことで圧をかけるシーンは笑ってしまった。シリアスな展開でも笑えるシーンを欠かさないところが『SHIROBAKO』の圧倒的な強みだなあと改めて思った。

 

 

・坂木しずか

みんな大好きずかちゃん。彼女はTVシリーズの頃一番辛い思いをしていたので、今回声優として活躍している姿を見られて本当に嬉しかった。ただ、成功していても「今の自分は本当にかつての自分が望んだものなのか」と自問する生真面目な姿勢はやっぱりずかちゃんで、きっと彼女は一番愚直に一歩ずつ前進していくんだろうなあと、好きを通り越して憧れの念まで抱いてしまった。「自信」と「覚悟」という言葉が彼女ほど似つかわしいキャラは他にいないだろう。

 

養成所時代の先生とのやり取り(「夫婦のお悩み相談」)は味があってよかった。「言葉にしないと伝わらない」。ごもっとも。この芝居のやり取りもそうだし、りーちゃんと舞茸師匠のキャッチボールもそうだけど、キャラ同士の掛け合いを単なる会話シーンとして終わらせないところも『SHIROBAKO』ならではだなあと思った。横手美智子さんはやっぱり素晴らしい脚本家だ。

 

ところで、『SIVA』のオーディオの際、舞茸さんがアルテ(後にずかちゃんが役を射止めるキャラ)について「本質的に、向こう見ずなところと繊細で生きにくいところが同居している」と言及していたが、この点はまさにずかちゃんと通底していると言える。オーディションで、ずかちゃんは突然振られたアルテの演技をぶっつけ本番でやったわけだが、それなのにあそこまで完璧な芝居ができたのはこのためだろう。だからこそ舞茸師匠はずかちゃんの演技からインスピレーションを得てアルテの魅力をさらに掘り下げることができたのだ。また、舞茸師匠がアルテの内面について上の内容を話した際、それを聞いた宮森ははっと何かに思い至った表情を見せていたが、おそらく宮森はずかちゃんがアルテにぴったりなんじゃないかとこの時点で気づいたのだろう。それは、ずかちゃんが演技をしていた際の宮森の表情(ぐっと目を見開いて「うんうん」と真剣に頷きながら聞いていた)からも何となく伺える。そう考えるとやっぱり宮森はプロデューサーに向いているなと、つくづく思う。

 

 

・藤堂美沙

今回の劇場版で個人的に一番親近感を覚えたのがみーちゃん。

 

入社一年目で教えられる立場だったころから月日が経ち、今では後輩社員に指導する立場のみーちゃん。だが、ここもやはりものすごくリアルなのだが、後輩たちの仕事に向き合う姿勢や捉え方が人によって全然違う。適当に折り合いをつけてそこそこのクオリティで出せばいいと考える後輩、逆にクオリティにこだわりすぎて全く納期に間に合わそうとしない後輩。どちらの後輩も別に不真面目なわけではなく、それぞれの言い分があって、そしてそれは100%間違っているわけではない。(クリエイターにとって納期とクオリティは永遠のジレンマという)。

 

そんな後輩たちにみーちゃんは先輩として極めて真っ当な正論を突きつけるわけだけど、その言葉がどうしても後輩には届かない。このもどかしさが本当にリアル。正しいことを言えば、人はその通りに動いてくれるわけではない。他人を突き動かすのはロジックではなく感情だ(そういえば『ハイスクール・フリート』のレビューでも似たような話をした)。そういう意味ではみーちゃんの指導のやり方は真正面過ぎてあまり効果的とは言えない。

 

と、偉そうに語っているが、僕は自分がみーちゃんよりも更に下手くそだと自覚している。自分も部活や研究室で後輩を指導する立場になったことは何度もあるが、こういうのは本当に難しい。「あ、今言ったこと全然納得してないな」と感じることがよくあった。逆に、先輩の言うことが納得いかずに愚痴をこぼすこともよくある(我ながらまったくひどい)。

 

まあ筆者のことは置いておくとして、みーちゃんのこの不器用さや頑固さは、改めて考えて見ればTVシリーズの頃から一貫して描かれていた。前の会社のスーパーメディア・クリエイションズでも、「この先も車のタイヤ(のCG制作)ばかりですか?」と社長に直談判したり、そのまま退職したり、中々無茶なことをやっている。それだけの度胸と情熱があるからこそ、後輩と意識の共有が上手くいかなかったのだろう。

 

そんなみーちゃんが、後輩ちゃんの長所と自分の能力不足を素直に認め、自分がやりたかったシーンの制作を後輩に任せるところはグッときた。もちろんこのきっかけとなったのは杉江さん主催のアニメーション教室であり、「みんなで作った方が楽しい」ということを図らずも子供たちから学んだからなのだが、それでも4年前のみーちゃんだったら後輩に任せるという選択はとっていなかったかもしれない。彼女の成長が垣間見えたシーンだった。

 

 

今井みどり

アニメーション同好会五人組の中で一番の天才肌で強メンタル、なおかつ努力家という、将来有望なりーちゃん。

 

案の定、脚本家のサクセスロードを順調に駆け上がっていた。ただ、それでもTVシリーズの頃のようにいつもキラキラワクワクとはいかず、やはりプロの厳しさや乗り越えなければならない壁の高さにヘコむことも多い様子。

 

宮森も同じだが、今回の劇場版ではりーちゃんのネガティブな一面が見られて嬉しかった。客観的に観れば着実に成長しているのに、当の本人はうまく進めていないと感じてしまっているというのは、結構よくあることだと思う。これまたリアルなキャラ描写。

 

見応えがあったのはやはり、りーちゃんと舞茸師匠の関係性の変化だ。師弟関係から対等な仕事人同士になったが故、舞茸師匠の彼女に対する指摘は容赦ない。ダメなところはバッサリ切り捨てる。かつてのひよっこりーちゃんが印象に残っているせいで、このシビアなやり取りがものすごく感慨深く感じられる。

 

しかし、単にシビアな関係性というわけではもちろんなく、かつての師弟関係故の信頼や愛情も確かにある。そう、キャッチボールのシーンだ。あのシーンの味わい深さは本当に反則級だと思う。脚本家としての言葉の投げ合いが、キャッチボールというアクションを通して(一見)淡々と描かれる。表面的に観ればただの意見交換なのだが、こういう会話の中からこの4年間で二人が歩んできた道のりに思いを馳せると、本当に意義深いシーンに感じられる。極めつけは舞茸師匠の「師匠じゃない、商売敵だ」というセリフ。これがもうヤバい。確かここで僕は泣きました(他のシーンでも散々泣いたけど)。にっと不敵に笑いながらもどこか誇らしげな舞茸師匠に、なんとも言えない感情が込み上げてきた。本作屈指の名シーンだと思う。

 

 

・遠藤&下柳&瀬川

本作の裏主人公たち。いや、僕の中ではこの映画はもはや遠藤さんが主役かもしれない。そう言って差し支えないくらい、この三人は本作のシナリオにおいてキーパーソンだったと思う。

 

瀬川さんが遠藤さんを復帰させようと説得するシーンは本当に鳥肌が立った。二人の「性格」のぶつかり合いとでもいうのだろうか。瀬川さんはいつも正しく、論理的で、強くて、そして優しい女性だ。そんな彼女は、ゲーセンで一人腐っている遠藤さんに慰めの言葉をかけてあげられない。それどころか格ゲーでコテンパンにした上で、これ以上ない正論で彼を追い込んでしまう。しかし、それは彼女が本当に優しい人間で、そして心から彼を尊敬しているからこその行動でもある。一方の遠藤は彼女の言葉が正しく、自分を想っての言葉だということを理解しながらも、その弱さ故に彼女を突き放してしまう。そして、瀬川さんはすぐに正論を突きつける自分の悪癖を悔やみ、彼を救ってあげられなかったことで落ち込んでしまう。

 

何というか、二人とも本当に「人間」だ。リアルな人間がそこにいて、人間同士がぶつかり合うからこそ生まれる熱量がある。あのゲーセンのシーンはとてつもない熱量だった。『BLACK LAGOON』第7話におけるロックとレヴィぶつかり合いに近いものを感じた。

 

 

遠藤さんを説得するアプローチが瀬川さんと下柳さんで正反対なのも実に面白い。現状を否定し更生させようとする瀬川さんに対し、下柳さんは彼に否定的な言葉は投げかけず、代わりに、「僕は遠藤さんが描くSIVAが観たい」と、ただそれだけ告げる。だが、この一言が、遠藤氏の氷った心を融かすきっかけになったわけだ。その日の夜、麻佑美さん(遠藤さんの奥さん)が彼に言った「何かいいことあった?」という一言も、それに対する彼の気まずいような面映ゆいような反応も、もう、何もかも本当にずるい(ここでも泣きました)。人生は酸いも甘いも詰まっている。それも95:5くらいの割合で。それでも、いつも隣にいてくれる最愛の人のために前を向いて現実と戦わなくてはならない。このあたりの脚本は特に神がかっていた。

 

TVシリーズの頃から下柳-遠藤と瀬川-遠藤の性格の違いや関係性はしっかりと描かれていたが、まさかこんな形で活かされるとは。サブキャラクターを劇場アニメの中でここまで輝かせるというのは、キャラの内面描写に腐心してきた『SHIROBAKO』だからこそなせる業だ。ストーリーとしては「北風と太陽」に過ぎないのだが、あまりにも内面描写が細やかでキャラクターに確固とした人格が与えられているのでとにかく引き込まれる。

 

ある意味、今回の劇場版の素晴らしさを凝縮したような三人組だったと思う。

 

 

・高梨太郎&平岡大輔

4年前から一番変わったのは大ちゃん。いや、変わったというよりも元に戻っただけで、あれが本来の大ちゃんの姿なのだろう。自分の企画を活き活きと語るタロちゃんを見る穏やかな大ちゃんの表情には、自暴自棄で独りよがりだったあの頃の面影はない。宮森が何か思い詰めていると察しては気の利いた励ましの言葉をかけてあげるほどの好青年。すごい変わりっぷりだが、この成長がリーズナブルに感じられるのだから『SHIROBAKO』はすごい。

 

彼が変われたきっかけはもちろんタロちゃん。大ちゃんのような真面目な人間ほどポキっと折れやすい。剛直でしならない木は「雪吊」がないと積雪で折れるし、機械工学においては「遊び」がないと構造体が長持ちしない。

 

現実と理想のギャップに打ちのめされていた大ちゃんが立ち直り、理不尽な現実と向き合えるようになれたのは、底抜けにポジティブでどんな問題も笑って受け流してしまうタロちゃんが、大ちゃんの「雪吊」・「遊び」になってくれたからに他ならない。

 

一方でタロちゃんはタロちゃんで、相変わらずバカポジティブで能天気ではあるが、少し大人びたようにも見える。少なくともかつてのように口だけの男ではなく、野望に向けて積極的にアクションを起こしている。彼が現実的なプランを立てられるようになったのは、紛れもなく現実主義の大ちゃんのおかげだ。

 

最強のバディだと思う。心から羨ましい関係性だ。そして、この相性を見抜いて二人にペアを組ませ、大ちゃんの問題(孤立)とタロちゃんの問題を(無神経・大雑把)を同時に解消させたみゃーもりはやはり凄腕だと思うわけです。それなのに、この二人を生まれ変わらせた宮森は「タイマス事変」のせいでどん底に追いやられたというのがもう…。なんとも言えない切なさに襲われた。(何度も繰り返すが、一つ一つの人間関係にこれだけ入れ込むことができるのが『SHIROBAKO』のすごいところ)。

 

もし『SHIROBAKO』の続編が作られて、この3人が協力してアニメを作るシーンが描かれたらそれだけで多分僕は涙腺崩壊する。(お願いなのでいつか続編作ってください…)。

 

(2020.03.03追記)

2回目を観て気づいたけど、途中一瞬だけあった野亀先生となべPが話し合っているシーンはラストシーンのホワイトボードに映る『第三少女飛行隊』新シリーズの伏線になっていたんですね。「2度と同じ轍を踏まない」ように第3期はスタジオタイタニックではなくムサニにお願いすることにしたという話だろう。というわけで続編は期待できそう。

 

 

・佐藤沙羅&安藤つばき

佐藤・安藤ペアが序盤離れ離れになっていたのが切なかったので、後半安藤さんが合流してきたときは嬉しかった。久々に会った二人が手を取り合って喜んでいるシーンがすごく印象に残っている。前半がどん底みたいな暗さだっただけにあのシーンには強い多幸感を覚えた。

 

佐藤さんの入社動機は「家に近いから」という理由だったが、彼女が「タイマス事変」の後も辞めずに残ったのは、『第三少女飛行隊』などの制作を通してムサニのことを好きになったからなのかな、と勝手に妄想している。そう考えると一気に佐藤さんに愛着が湧いてくる。

 

安藤さんはちょっとりりしくなったかな?前は元気印という感じだったが、制作進行らしい落ち着きが備わったように思う。男性陣(山田監督やタロちゃん)に対する塩対応の切れ味がTVシリーズの頃よりも増していてちょっと可笑しかった一方で、やっぱりここでも4年と言う月日の経過を実感した。

 

二人とも頼れる制作進行に成長していて感慨深くなった。(常に感慨深くなってるな…)。

 

あと、お団子ヘアーの安藤さんはマジでかわいかった。

 

 

・久乃木愛

久乃木さんは大ちゃんの次に成長したキャラかもしれない。最初登場したときは、「おおっ普通にしゃべってる!!」と興奮した。ある程度予想はしていたのに。

 

絵麻と仕事する中で仕事人としての自覚と覚悟が固まったのだろう。タロちゃん-大ちゃんペア同様、この二人も互いの良きパートナーだ。

 

「久乃木さんと一緒に住めてよかった」という絵麻の言葉で顔を赤らめる久乃木さんに微百合を感じてしまった僕は心が汚れているのかもしれない。

 

 

・木下監督&本田さん

この人たちは相変わらずだった。やっぱり、上に挙げてきた若手たちと比べると少なからず年上な分、同じ月日が経っても変化が小さいのだろうか。

 

あと、この二人は本作のギャグ要因でもあった。本田さんのモンブランの件とか、「万策尽きた~」の歌とか、木下監督のセーラ(柴犬)の件とか本当に絶品。映画館だったから我慢したけど家だったら払抱えて笑ってた。どこかのインタビュー記事でP.A.WORKSの取締役の堀川さんが水島努監督について「ギャグセンスが素晴らしい。『感動』は計算でもとれるが、『笑い』を計算するのは中々難しいこと」という旨の発言をしていたが、本当にその通りだと思う。今回の劇場版はとてつもなくシリアスであるにもかかわらず、ギャグシーンは冴え渡っていた。堀川さんが言っているのはこういう両立のことだろう。

 

そういうわけで、本作の暗い雰囲気をちょっと和らげるという意味で、この二人は重要な働きをしていると言える

 

一方で、「タイマス事変」の直後、木下監督が宮森に「ごめんね」と言って涙を流すシーンは心が痛んだ。こういう感情芝居ははっきり言ってずるい。ずるいけど…芝居のクオリティが高すぎて涙腺がやられた。堀川さんが『感動』は計算でもとれると言っていたのはこういうことなのかもしれない。

 

 

・山田さん

こちらも本作のギャグ担当。粛々とアニメ制作を続ける円さんとの対比が印象的だった。TVシリーズ「俺は矢面に立つ度胸ないし監督には向いてない」なんて言っていたのを思い出して笑ってしまった。思いっきり矢面に立ってるじゃないですか、山田さん。

 

TVシリーズで矢野先輩が言っていた「積み上げたものが崩れるのは一瞬。いつまでも、あると思うな他人の信用」がこんなところで回収されるとは。でも、最近のエンタメ関連の下らないゴシップなんかを観ていると本当に最近の世の中はそういった危うさに満ちているなと思う。まあ山田さんはちょっと調子に乗っていただけで悪いことは何一つしてないが。

 

あと、偽ゴシップで信用を失った山田さんに木下監督が送った「どん底に落ちてからがスタートライン」っていう励ましは含蓄ありすぎてやっぱり笑った。

 

 

・宮井楓

本作の新キャラ。ただ、どうもこのキャラに関しては印象が薄い。

 

公開前からCV(佐倉綾音さん)も含めてかなりフィーチャーしていたので、キーパーソンとして物語に絡んでくるのだろうと予想していたが、別にそんなことはなかった。

 

いる必要のないキャラでは決してない。しかし、宮森たち主役五人に連なるほどの重要性は明らかにないと思った。低俗な思考で申し訳ないが、やっぱり人気声優による宣伝効果という意図も少しはあったのかなと思わなくもない。稲浪音響監督の言葉を借りれば、やや「政治的なキャスティング」であるように感じた。

 

とはいえ、演技自体は良かったし、キャラも立っていたと思う。特に、宮森と酔いつぶれて愚痴をぶちまけるところは本作の中でもお気に入りのシーンの一つとなった。

 

でもやっぱりそこまで重要なキャラだったとは思わない(しつこい)。

 

 

TVシリーズとの比較考察 ~宮森が戦う理由とは~

劇場版とTVシリーズの比較を行ってみる。

 

いずれについても、テーマの大筋としては「何を目標に頑張るのか、何のためにアニメを作るのか」という点で一致している。だがそれは表面的な話であって、突き詰めていけば、その本質はTVシリーズと劇場版で大きく異なっていることに気が付く。

 

TVシリーズの宮森たちは、いわばスタートラインに立ったばかりの存在だ。まっさらな世界で、これから自分が何を目指して頑張っていくのか、自分が本当にやりたいことや好きなことは何か、ということを自らに問い続けながら、次第にそれを見出していったのがTVシリーズ最終的に宮森は、「アニメを作ることとアニメを作る人が好きな気持ちが自身の原動力であり、様々な人々が協力し互いに影響を与えることで繋がっていくアニメ制作現場で今後も働きたい」という結論にたどり着く。いわば、宮森にとってアニメは人と人を繋ぐ架け橋であると同時に、色んな面白い人と共に刺激をもらい合う尊い「できごと」なのだ。実際、宮森は誰よりも人を良く観察し、その人の心の内を理解した上で、腹を割って話そうとする。相性が悪い相手に対しても、「気に入らない」と頭から否定するのではなく、あくまでもその人の個性と捉え、うまく付き合っていく道はないかと模索する。これは、彼女が根本の部分で「人と関わりたい」と強く願っているからだ。周りの人間が皆口を揃えて「宮森は制作に向いている」と評するのは彼女のこの根っこの性質に由来する。

 

つまりは、宮森が制作一年目(TVシリーズ)で見出したアニメを作る理由は「人との繋がり」だったということだ。確かに、素晴らしい。

 

しかし、劇場版『SHIROBAKO』は、TVシリーズが24話かけて描き抜いたこの美しい着地を冒頭の僅か10分で完膚なきまでにぶち壊す。「タイマス事変」というたった一つの理不尽によって、宮森は自身が何よりもやりがいとしていた仲間の存在を一気に失った。失われたのは人だけではない。お金、会社の信用、人材不足による仕事の余裕。これだけのものが一遍になくなった状況で、フレッシュなモチベーションを保ち続けることなど不可能だ。

 

今回の劇場版で宮森が直面する「何を目標に頑張るのか、何のためにアニメを作るのか」という問題は、「綺麗ごとだけでは限界があるという現実を突きつけられた状況で、それでも頑張り続ける意味があるとするならばそれは何か」という問いかけである。これはTVシリーズときのそれよりもはるかに現実的で生々しい、切迫した問題だ。

 

これには明確な答えはないし、今回の劇場版の中でもはっきり結論付けられてはいなかったように思う。見る人によって、そしてこれを見た時の自分の状況によって、色んな受け取り方ができる作品になっているのではないだろうか。

 

あくまでも僕個人の考えだが、今回宮森が逆境の中ギリギリのところで踏ん張り、『SIVA』の完成までこぎつけた原動力は、制作進行・プロデューサーとしての「意地」と「誇り」であるように感じた。それは、TVシリーズにおいて宮森の原動力であった「アニメ制作を通して人々と繋がり合う」という前向きな目標とは本質的に異なる、もっと泥臭くて重苦しい、絶対に譲れない最終防衛ラインのようなものだ。

 

ミムジーとロロを通した自問自答の中で宮森は、「プロデューサーは作品を完成させ、それを届ける仕事である」ということを再確認する。『SIVA』の版権問題で崖っぷちに立たされ、心が折れる寸前までいった宮森が踏ん張れたのは、そんなシンプルな理由だった。この作品のプロデューサーである限り、彼女は最後まで諦められない。ここで諦めてしまうということは、これまで様々な困難を乗り越えてきた自身の頑張りを裏切ることに他ならないからだ。

 

立脚点を失い、現実に打ちのめされ、それでなお立ち上がろうとするとき、その最後の端緒となるものは何か。この問いに今回僕が見出した答えは意地と誇りだった。「意地も誇りも綺麗ごとにすぎない」と言われるかもしれないし、実際その通りかもしれない。ただ、僕の見出した答えも多少は真理を含んでいるんじゃないかなとも思う。まあ、あくまでもこれは一回見て漠然と感じたことに過ぎないので、また二回目以降見ていけば捉え方も変わってくるかもしれない。そういうわけで、この辺については、また今後追記することになると思う。

 

 

その他の雑感

7.1chサラウンドについて

正直、実際に観るまでは「『ガルパン』じゃないんだから5.1chで十分でしょ」と思っていた。しかしそれは大きな間違いだった。

 

と言うのも、『SIVA』のラストシーンの迫力と臨場感はとてつもなかったが、7.1chサラウンドは疑いようもなくそれに寄与していたからだ。宮森・宮井コンビの「げ~ぺ~う~」乗り込みシーンについても同様。多少プラシーボも入っているとは思うが、それを差し引いても素晴らしい音響だったと思う。

 

具体的には、5.1chサラウンドが「ベクトル的」な音の聞こえ方だとすると、7.1chサラウンドは「音場」という空間に包み込まれているような感覚だった。自分の周囲に音が満ちているとでも言うのだろうか。その場に居合わせているかのような聞こえ方だった。何というか、スピーカーから聞こえてくる感覚が極めて薄いみたいな感じ(伝われ)。

 

この手の音響の違いについてはかなり懐疑的だったのだが、本作を観て考えを改めた。シナリオも作画も完璧なのに音響までこだわってるなんて反則過ぎる。ダメなところが本当に見当たらない。

 

(2020.03.03追記)

本日二回目を7.1chサラウンド非対応(つまり5.1ch)の映画館で観てきたが、予想以上に差は大きかった。臨場感がまるで違う。明らかにプラシーボの範疇を超えていた。特に差を感じたのは、上に書いた通り音場感(音に包まれている感覚)と、低音の唸りおよび沈み込みの深さだ。5.1ch劇場で観た人には、次に見る際は足を延ばして7.1ch対応の劇場に行くことをお勧めする。

 

 

主題歌「星をあつめて」

主題歌についても、正直なところ、「fhánaは『SHIROBAKO』のイメージに合わないんじゃないか」と思っていたが…。

 

全くそんなことありませんでした。すいませんでした。

 

曲自体も素晴らしいし、何よりも歌詞が作品のテーマとめちゃくちゃマッチしていて、エンドロールの間色んな巨大感情が脳内に飽和して涙が止まらなくなってもう顔面くっしゃくしゃ。魔法のようなハマり具合だった。多分何回観てもくっしゃくしゃになると思う。

 

 

まとめ

流石に長くなりすぎたのでサクッと締めよう。

 

作画・シナリオ・演出・音響、全てにおいて完璧。ひたすら笑えて泣ける、極上の120分だった。文句なしの★5(ちなみにTVシリーズの方も★5)。

 

また、TVシリーズの『SHIROBAKO』同様、ただ単に「面白い」「感動できる」というだけでなく、万人に響く普遍的なテーマと、それを濃密な人間ドラマを通して描く繊細な感情芝居と内面描写は、他の作品ではなかなか味わえないクオリティだった。

 

TVシリーズ・劇場版共に、アニメ好き全員におすすめしたい。まだ劇場版『SHIROBAKO』は公開されたばかりなので、時間がある人は是非TVシリーズから。

 

では、今回はこんなところで。