アニメノギス

理屈っぽいアニメレビュー

『ARIA』のレビュー:★★★★☆(4.5)

 

“泣きたくなるほど幸福な”ヒーリングアニメーション

 

ARIA』は2002年から2008年にかけて連載された天野こずえ作の漫画作品。これを原作とするTVアニメ『ARIA The ANIMATION』が2005年に放送され、続く第二期『ARIA The NATURAL』が2006年に、OVAを挟んで第三期『ARIA The ORIGINATION』が2008年に放送された。また、2015年にはアニメ化10周年企画として新作劇場アニメ『ARIA The AVVENIRE』が公開された。


このように非常に息の長い作品だが、個人的な印象として『ARIA』の知名度はそれほど高くないように思う。筆者自身この作品を知ったのはほんの数か月前で、全部観終えたのも最近のことだった。僕なんかよりはるかにアニメ通の友人も、本作については「名前は知ってるけど内容はよく知らない」と話していた。


そういうわけで決してメジャーな作品でないことは確かなのだが、観た人の評価は押並べて高い。それも『ARIA』に関しては、「面白かった!」とか「感動した!」みたいな月並みな褒め言葉は少なく、「人生で1番の作品」「永遠の覇権」といった熱烈な賛辞をよく目にする。それだけファンの熱量が高く、作品に対する思い入れが強いということだ。筆者にとっても同作は『よりもい』や『響け!ユーフォニアム』と並んで数少ない一生モノの作品となっている。


こんな名作があまり知られていないというのは実に歯がゆい。歯がゆいので今回はこの隠れた名作の魅力をネタバレなしで紹介していく。

 

 

 

どんな作品?

まずは簡単なあらすじから。


人類が火星に移り始めて数十年。テラフォーミングによって水の惑星へと生まれ変わった火星は「アクア」と名付けられ、「マンホーム」(地球)から持ち込まれた地理・文化をベースにいくつもの居住区が形成されていた。


その中の一つで、かつてマンホームに存在した水の都「ヴェネツィア」をベースにつくられた街、「ネオ・ヴェネツィア」。オリジナルのヴェネツィア同様、大小さまざまな水路が迷路のように入り組むネオ・ヴェネツィアは、その美しさから多くの観光客が訪れる。そしてネオ・ヴェネツィアにおいては、観光客をゴンドラ(小舟)に乗せてガイドする女性水先案内人「ウンディーネ」がこの地の観光の重要な役割を担う。


主人公、水無灯里みずなしあかり)は水先案内業の名門「アリアカンパニー」に所属する見習いウンディーネ。上司のアリシア、猫のアリアしゃちょーと穏やかな共同生活を送る一方で、一人前のウンディーネ「プリマ」になるべく他社のウンディーネで友人の藍華、アリスと共に日々練習に励んでいる。


ARIA』で描かれるのは、そんな彼女たちの何気ない日常。


内容的にはSFベースの日常アニメと言えるが、「日常系」の一言で片づけるにはこの作品は余りに偉大で、他の作品にはない特別な何かを有している。


ではどういった点が特別で偉大なのか。それをネタバレなしで紹介していこう。

 

 

ARIA』のここがすごい

ARIA』という作品を一言で表すとして、僕が真っ先に思い浮かぶ言葉は「幸福」だ。


本作で描かれるのは主人公灯里を中心とした何気ない日常。裏を返せば、シナリオとしてはびっくりするほど何も起きない。何気ない日常を一話完結で描く構成になっているため、分かりやすいストーリーの起伏や続きが気になる面白さみたいなものは皆無に近い。


だが同時に、この「何も起きない」という点が本作の「キモ」でもある。


何も起きないからこそ見えてくるものがある。例えばそれは穏やかな四季の移ろい、人が人に与える心の変化、ふと見上げる空の美しさや風が運ぶ花の香り。


ARIA』には日常の中に隠れたそういう小さな「素敵」が、まるで宝石箱のように詰まっている。そして、その「素敵」が生む心を融かすような多幸感・温かな読後感こそ、本作が多くのファンにとって代えがたい作品となっている理由だ。


ARIA』という作品の方向性はざっくりこんな感じなのだが、その魅力を具体的に掘り下げる上で特筆すべき要素が3つある。それは、
「恥ずかしいセリフ」

「泣きたくなるほど幸福な音楽」

ネオ・ヴェネツィアの心象風景
の3つだ。

 

 

「恥ずかしいセリフ」

前述の通り、『ARIA』では何気ない日常がとにかくゆったりのんびり描かれる。


我々凡人にとって日常はただの日常に過ぎず、そこに新鮮な喜びを見出すことは難しい。ルーティン化された日々は、それだけで心の弾力を奪っていく。だが、それは多分「見方の問題」なのだろう。同じ出来事や風景でも、その人の心の在り方次第でとらえ方や感じ方は大きく変わってくる。灯里の先輩、アリシア・フローレンス曰く「素敵なひとの目には、世界は素敵に映ってくれる」。仕事に忙殺され、未来に漠然とした不安を抱き、目先の損得勘定に囚われがちな現代人(特に日本人)は、そのチャンネルを忘れてしまっているのだ。


そういう我々(便宜上一括りにしています。気を悪くしないで)と比較したとき、灯里を中心とする『ARIA』の登場人物は皆、世界を素敵に見る力に長けた「人生の達人」であると言える。


彼女たちはその優れた感受性と物事の本質を捉える心眼で、一見何の変哲もない日常の中から小さな「素敵」を見つけ出し、それを「恥ずかしいセリフ」としてアウトプットする。そして視聴者は灯里やアリシアという“フィルター”を通すことで、彼女達の目に映る新鮮な発見と瑞々しい感動を共有することになる。


ARIA』を観た時に感じる強い幸福感は、大局的にはこのようなメカニズムによって引き起こされている。故に、「恥ずかしいセリフ」抜きに『ARIA』の魅力は語れない。


「恥ずかしいセリフ」は物語のいたるところに散りばめられている。例えば、一期・第1話アバンにおける以下の掛け合い。

 


灯里「初めましてを言うときって、キュンてなりますよね。人と人が出会うのは素敵な奇跡。だからその瞬間を宝物にして、取っておきたくなっちゃうんですね」

藍華恥ずかしいセリフ禁止!」

灯里「 ̄□ ̄ エー」

 


冒頭から恥ずかしいことこの上ないが、最終話までずっとこんな調子である。他にも色んな人物の「恥ずかしいセリフ」があって挙げだすとキリがないのだが、とりあえず代表的なものだけいくつか紹介しておく。

 

 

アリシア「嫌いなところを好きになるには少し努力が必要だけど、もしそれができたら、好きな人は大切な人になる――」(一期・第1話)


灯里「さりげない思いやりって、見えないところにちょっこりと隠れてる。だから普段は全然知らずに過ごしていて、でも気が付くと、思いやりをくれた人の顔がほんのり見える」(一期・第6話)


アテナ「きっと本当に楽しいことって、比べるものじゃないのよね。あの頃も、今も、これからも、一緒にいる人と過ごす時間の中に、いくつもの小さな楽しいことが浮かんでは消えていく――。その一つ一つを捕まえることができたら、楽しいことは尽きることがないのよ」(一期・第11話)


晃「嬉しいことってのはすぐ慣れてあたりまえになるのに、嫌なことはたったひとつ起こっただけでもものすごく重く感じてしまう。たぶん人は、自分自身で嫌な事を何倍も重くしているんだ」(二期・第24話)


アリシア「物事が動き出す時って不思議ね。みんな人それぞれの道を歩んでいるのに、お互いの変化を呼び合うかのように連鎖が重なる。まるで、初めからその時を運命づけられていたかのように――」(三期・第12話)


灯里「お別れはいつだってさみしいです。――でも、それはたぶんいいことなんですよ、アリシアさん。さみしければさみしいほど、悲しければ悲しいほど、それが大好きな存在だったからなんです。これは一生モノだって思える、このアクアでキラキラ輝き続ける愛おしい存在。だから切ない思いもまた、幸せ者の証なんですよ」(『ARIA The AVVENIRE』 capitolo3)

 

 

ARIA』の雰囲気が何となく分かってもらえただろうか。ポエミーでむず痒くなるようなセリフ。だがそこには人生をしなやかに生きるためのエッセンスが詰まっている。しかも、それでいながら、『ARIA』の教訓には巷の自己啓発本に見られるような説教臭さや押しつけがましさが一切ない。


彼女たちのセリフはあくまでも彼女たちの目に映る世界の在り方であって、視聴者の価値観を変えてやろうという意図は含まれていない。説き伏せるのではなく、心に寄り添って添え木になってくれる。「恥ずかしいセリフ」はそんな温かなメッセージだ。


彼女達を見ていると、「こんな風に世界を見ることができたら幸せだろうな」と自然と思えてくる。日々を生きていくことの尊さや美しさにふと気づかせてくれるのだ。これまで色んな日常系アニメや癒しアニメを観てきたが、『ARIA』ほどセリフが「沁み入る」作品は他にない。

 

 

「泣きたくなるほど幸福な音楽」

ARIA』の「顔」は何か?という問いに対し、多くの人は「音楽」と答えるだろう。そのくらい、本作における音楽の存在意義は大きい。


以下はとあるインタビューで本作の佐藤監督が『ARIA』における音楽の位置づけについて語った内容である。

 

世界観が独特ですよね。何ら濁りのない清水の中で物語が進んでいく。おそらく読者は「世の中には汚い裏側があるぞ、もっとそこを見たい」と言う中高生ではなく、年齢的にもっと上の世代だろうと。そこそこ汚いもの見て疲れたから、「きっとどこかに綺麗な世界があるはずだ」というものを見たい人たち。だったら悪意のない世界を見て感動するだけでなく、感動する自分に少し酔うところまでが楽しみのはずだと。そんな独特の世界観を再現するためにどうするかというとき、一番大事にしたのは音楽でした。とにかく音楽を流し続けるという手法です。


普通のアニメーションなら事件が起きたところに音楽を流すわけですが、頭からずっと事件のない部分に流しています。事件が起きたら音楽を切る。そういう作り方です。音楽の発注のときにお願いしたのは、「とにかく泣きたくなるほど幸福な音楽にしてほしい」と(笑)。音楽を聴くだけでスイッチが入るようにする。音楽ふくめて一枚の絵にしたいというのが出発点でした。

(引用元:バンダイチャンネル〈月刊〉アニメのツボ Vol.10 2014/5/25)

 
監督のこの「泣きたくなるほど幸福な音楽」という表現が素晴らしく正鵠を射ている。柔らかな旋律が固まった心を融かし、切なさと愛おしさで満たしてゆく。そんな魔法のような楽曲たちが、『ARIA』の世界に散りばめられた「素敵」を一層キラキラ輝かせる。


「音楽」と一口に言っても劇伴・OP/ED曲・劇中歌によってその役割と方向性は微妙に変わってくる。


まず劇伴。ほとんどの楽曲がピアノ、バンドリン、チェロなどのいわゆる生音のみで構成されており、温かく清らかな音色は陶酔するほどに美しいネオ・ヴェネツィアの海と風と空がそのまま「音」になったかのよう。その音色によって紡がれる壮麗で甘美なメロディが、ネオ・ヴェネツィアの緩やかな時間の流れと融和する。「音楽ふくめて一枚の絵にしたい」と監督は表現しているが、言い得て妙だ。


ARIA』のサウンドトラックは楽曲そのものの素晴らしさと録音品質の高さ、そして作中での印象的な使われ方も相まって、アニメサントラとしては異例の人気と評価を誇る。上品で優雅なのに肩ひじ張らないリラックス感も備えた絶妙なバランスは、もはやアニメBGMの範疇を超えている。最近でこそこの手の本格派BGMはちらほらみられるが、『ARIA』は15年も前の作品なのだからすごい。(ちなみに筆者は見事に『ARIA』の楽曲に魅入られ、サウンドトラックを聞き漁る日々を送っている)。

 

劇伴以外の「歌」も特筆に値する素晴らしさ。


OPはネオ・ヴェネツィアの朝の静けさと澄み切った空気を感じさせる、神秘的でありながらまったりとした曲調。劇伴同様、楽器はピアノと弦楽器をメインとしており、その旋律に寄り添うように牧野由依さんのウィスパーボイスが重なる。これにネオ・ヴェネツィアの夢のような景色が合わさることで、視聴者は一気に作品世界に引き込まれることになる。イントロを聴くだけで脳のチューニングが瞬時に『ARIA』に合わさる感覚は、さながら魔笛のよう。「音楽を聴くだけでスイッチが入るようにする」という監督の言はもちろん劇伴や挿入歌のことも含んでいるが、OP曲ではその意図を特に強く感じる。


次にEDだが、『ARIA』の心地よい読後感・多幸感に対する寄与はこちらが大きい。OPはどちらかといえば静謐と優雅が前面に出た、いわばネオ・ヴェネツィアの情景を表す曲だが、それに対しED曲はより感情に訴えかけるメロディラインが魅力。胸に沁み込んで満ち溢れていくメロディが本編を観終えた後の静かな感動を増幅させる(多分エンドルフィン的な脳内麻薬が大量に分泌されてる)。筆者の場合、本編のラストで涙ぐんでいるところにEDが来てとどめを刺されるというケースが多かった。


同様に、挿入歌もとにかく良い仕事をする。どれも素晴らしいが、中でも特にヤバいのが一期の「シンフォニー」という曲で、この曲が使われた一期・第11話は正真正銘の神回。本作の音楽プロデューサーの福田氏は「この曲ほど挿入歌というものが印象的・効果的に使われた例はなかなかないのではないかと思えるほど、放送後に大きな反響を巻き起こした名曲」と語っている(「ARIA The BOX」ブックレット)が、筆者もこのシーンを観た時の衝撃は鮮明に覚えている。挿入歌を含めた演出の「巧さ」という点において、以前レビューを書いた『よりもい』は間違いなく歴代アニメの中でも最強クラスだが、『ARIA』はこれに比肩する稀有な作品であると言える。

(この2作品は挿入歌による感動の種類が結構違っていて、『よりもい』の感動はぐわっと込み上げてくるような「熱さ」が主成分(「ハルカトオク」「宇宙を見上げて」「One Step」)であるのに対し、ARIA』の感動は夏の終わりの夕暮れのような、幸福とさみしさが入り混じった「静かな」感動(「シンフォニー」「潮騒」「横顔」)である。こんな例えが出てくるあたり、僕も灯里のポエムに毒されてしまったのかもしれない。)


これだけ長々書いておいてなんだが、正直聴いてもらった方が早いので、アニメを観る時間がないという人も、是非サウンドトラックだけでも買うなり借りるなりしてほしい。本当に超おすすめ。聴いたらアニメの方も観る気になると思う。

 

 

ネオ・ヴェネツィアの心象風景

ARIA』の「幸福」を生み出す最後のピースが背景美術。


前述の通り、ネオ・ヴェネツィアは風光明媚な街である。水路を流れる清らかな水、頬をかすめる潮風、白づくりの家々、石畳の小径、街をオレンジに染める夕暮れ。そういった要素からなる美しい景観が本作の大きな魅力であるわけだが、特筆すべきはそれらが「心象風景」として描かれている点である。


「心象風景」とは、目に映る「実際の風景」に対し、頭の中で無意識に加工され、印象として刻まれているイメージのことを指す。例えば、我々が普段目にする実際の夕焼けは、我々が思い描くよりもずっと青く、真っ赤に燃える部分はほとんどない(空全体が真っ赤に燃え上がることも無くはないがごく稀)。これが「心象風景」と「実際の風景」の差である。


アニメにおいては、「実際の風景」がそのまま描かれることはなく、多かれ少なかれ加工・効果が加わっており、その方向性と程度は作品によって異なる。『ARIA』はその中でも、リアル路線とは対極の、より印象的な背景の描かれ方になっている。


それは一言で表すなら、夢のような景色

 

一つ一つのオブジェクトが緻密に描かれているわけでもない。15年も前の作品とあって、画質も粗い。しかし、あるいはだからこそ、その景色には幻想的な美しさがあり、同時に自分自身が観た景色とどこか重なるような抽象性(一般性)を有している。


加えて、このような背景の描き方は、『ARIA』の「濁りのない清水」のような世界観と非常によく調和する。一つ一つの要素を克明に描写しない、ぼんやりと夢現のようなタッチだからこそ、見たくないものを一切捉えず、美しい上澄みだけを掬い取ることが可能なのだ。


ARIA』におけるこのアプローチは、以前紹介した『メイドインアビス』のそれと対極に位置する。メイドインアビス』は生物や自然環境の「汚れ」を正面から描くことで作品世界に物理現実と違わぬ「物質性」を付与し、それによって視聴者に強いリアリティと臨場感を生み出している。これに対し、ARIA』はそういった物質的リアリティを徹底的に排除し、あくまで甘美な幻想世界として描くことで視聴者に夢見心地の多幸感を与えている。メイドインアビス』のレビューでは、「物質性」を無視した世界観は薄っぺらになりがちだということを話したが、『ARIA』はむしろそのアンリアルを逆手にとって極上のヒーリングを生み出していると言えるだろう。それを視覚的な面から支えているのが背景美術というわけだ。

 

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まとめ&小言

音楽と美術の絶妙なマリアージュから生まれる静謐甘美な情景、その世界で描かれる何気ない日常の小さな「素敵」、そしてそれらが生み出す「幸福」。これが『ARIA』の魅力の本質である。


はっきり言って、僕個人の単純な好みで語れば、『ARIA』は問答無用で★5に該当する。恐らく他の多くの『ARIA』ファンにとってもそうだろう。


それにも関わらず★4.5にしたのは、フラットな視点で観たとき本作には看過できないいくつかの欠点があるから。主にそれは人物作画の粗さと音響効果(効果音・SE)のチープさである。


まず人物作画だが、これは特に二期の『ARIA The NATURAL』とOVAの『ARIA The ARIETTA』で粗さが顕著になる。また、粗いだけでなく、各期の間で統一感がなく、話数によっては同じキャラでも輪郭や目の形が結構違ったりする(勿論ここで言及しているのは平常時とギャグ顔の差のことではない)。これが、本作を観る上ではややストレスになってくる(特に二期とOVA)。美術と音楽が一貫して綺麗なだけに、ここは残念と言わざるを得ない。


そして音響効果。これは最近の本格派アニメにすっかり慣れてしまったというのもあると思うが、どうしても安っぽさを感じる。例えば回想シーンにぱっと切り替わる時の「しゅわーん」という効果音が劇伴と情景の美しさを著しく損ねることがあったり。あと、当時の録音環境や録音機器のスペックの問題として、石畳を歩く時の足音であったりオールを漕ぐときの水の音だったりがちょっと物足りない(『宝石の国』や『リズと青い鳥』などで耳が肥えてしまったせいでもある)。


まあ、肝心要の「幸福感」に致命的な影響を与えるものではないため、さして問題ではないと言えなくもないのだが、当ブログの方針として作品の評価はあらゆる要素をなるたけ総合的かつ客観的に精査した上で行っているので、本作は断腸の思いで★4.5にした。でも僕の中では★5だから(しつこい)。


そういうわけで、なんか最近疲れが抜けないという人やコロナで滅入っている人は、この機会に視聴してみることをおすすめする。全4クールとかなり長いが、一気見したくなるような作品でもないので、2、3日に1話くらいのペースでのんびり見ていけばいい。一話完結なので期間が空いても問題なし。


今回はこんなところで。