アニメノギス

理屈っぽいアニメレビュー

『やがて君になる』のレビュー:★★★★☆(4.5)

 

「静謐」「繊細」「上質」。目線・仕草・間 の全てに意味がある。

 

 

 

アニメレビュー三本目。今回は2018年秋の覇権との呼び声も高かった名作『やがて君になる(やが君)』をレビューしていく。が、今回はどちらかと言えば考察がメイン。ところで、最初の二つのレビューでは長々と駄文を連ねてしまったので今後はもう少しスリムに要点を絞っていきたいと考えている。

 

二人の少女の「歪な関係性」

『やが君』では二人の少女の関係が描かれる。いわゆる百合アニメに分類される作品だ。しかし実際は、この作品の本質は「女性同士」という表面的な特異性ではなく、二人の関係の背後にある歪な心理にこそある。そういう意味では、百合(女性同士)という分類分け自体はそれほど重要ではない。

 

物語の主役となる二人の少女、小糸侑(主人公/高一)と七海燈子(高三)には共通点があって、どちらも「特定の誰かを特別に想うことができない」「好きという感覚が分からない」という問題を抱えている。

 

本作のキモは、特異な共通点をもつ二人が根っこの部分で全く違うというところだ。侑は非常にドライな人間で、恋愛関係に限らず誰かに執着することがない。本人はそのことに劣等感を抱いており、自分も周りの人と同じように「誰かを特別に想えるようになりたい」と願っている。しかし侑は決して冷たい人間なわけではない。友達も多く、基本的に素直だし、気遣いもできる。他人に対して心を閉ざすようなこともない。ただ単に、彼女は何事においてもフラットなのだ。一方、燈子は誤解を恐れずに言えば冷たい人間だ。彼女は基本的に興味が自分にしか向いておらず、誰かの心情を慮ることがない。別に社交性がないわけではなく、むしろ人望は極めて厚い。外見が良く文武両道、人当たりの良さも相まって、男女問わず校内イチの人気者だ。しかしそれはあくまで彼女が自分のためだけに努力した結果に過ぎず、人から好かれたいという考えによるものではない。そういう意味では独りよがりな完璧さだ。また、特に親しい友人相手にも、一枚壁を隔てていて、決して自分の本心をさらさない。燈子の抱える闇はそういう類のものだ。

 

このように侑と燈子はそれぞれ異なる問題を抱えているわけだが、二人が出会うことでこの状況に変化が生まれる。まず、燈子が侑のことを「好きになる」(表面的にはそう描かれる)。

 

燈子の完璧超人は、素ではなく、努力だ。気を抜かず、たゆまぬ努力を続けることで彼女は自分が理想とする姿を頑張って維持している。そのため、他人からの無責任な信頼や好意は彼女にとっては重荷にしかならない。したがって彼女は、自分に信頼や好意を押し付けない存在、素の自分であろうと繕った自分であろうと関心をもたず、ただ存在を認めてくれる人を欲していた。それがまさに小糸侑だったわけだ。侑が「誰のことも特別に想えない」ことを知り、燈子は侑にひたすら甘え始める。手を繋いだり、キスしたり、ハグしたりするだけではなく、侑の前では言動までもが普段よりどこか幼くなってしまう。燈子にとって侑は安全地帯であり、避難所のようなものだったのだ。これは依存であって決して恋ではない。侑は燈子に、「私は先輩のことを好きにならない」と伝えるが、それを聞いて燈子はむしろ嬉しそうな顔をする。本当に歪だ。

 

一方の侑は、生徒会の活動を通して燈子と過ごすうちに、次第に彼女のことを考える時間が増えていく。出会って間もないころはグイグイ来る燈子に冷たい態度ばかりとっていたが、完璧超人の裏側にある脆さに気づいて以降、彼女を気に掛けるようになる。燈子のことを考える時間が増え、一緒にいる時間が増えるうちに、侑は彼女に惹かれていく。今まで何事に対しても特別な感情を抱かなかった侑にとって、初めて心に引っかかった存在が燈子だったのだ。

 

しかし、燈子が求めるのは「誰のことも好きにならない侑」だ。侑は自分の中で燈子の存在が大きくなっていることを自覚する一方で、燈子が離れていかないよう、一貫して彼女への好意を隠し続ける(やっと手が届いた、誰かを特別に想う気持ちであるにもかかわらず)。しきりに「好き」と伝える燈子はその実、「好き」という言葉によって侑が自分を好きになることを封じている

 

最終話で彼女たちの関係は変化の兆しを見せる。燈子が他人からの好意を受け入れられないのは、つまるところ、自分の価値を正しく理解していないからだ。努力して作り上げた自分のことを本当の自分と思えないくせに、素の自分を認めてあげることもできない。しかし侑にとっては、燈子は燈子という一人の人間でしかなく、そんな彼女に生まれて初めて「特別」ともいえる感情を抱いたのだ。ずっと追い求めていた「特別」な想いを胸の奥にしまいたくはない。そこで侑は燈子にとって都合のいい人間に甘んじることをやめ、燈子が抱える問題そのものを解決する決心をする。「努力して作った自分」と「不完全な素の自分」という二通りの選択肢しか用意せず、けれどどちらも幸せな未来をもたない。そんな燈子の人生を変えるため、侑は彼女の二者択一の考え方を変えようとする。もちろん最後の1話だけで燈子の問題が解決されるわけではないが、こういう煮え切らない幕切れにこの作品の良さが現れている。ここで一発逆転の展開が起きて二人は幸せになりました、みたいな終わり方をすれば興冷めもいいとこだ。最後のシーンで、侑は電車で寝ている燈子に「先輩、そろそろ乗り換えですよ」という一言をかける。言うまでもなく、この「乗り換え」は単に電車のことだけでなく燈子の二者択一の人生のことでもある。日常の何気ない一言にすぎないのにここまで含蓄のあるセリフはそうそうない。劇的なことは起こらないけど、心にじんわり浸透していく、そんな『やが君』らしさを象徴するような幕切れだ。

 

文学作品のような上質さ

本作では上述の歪な関係性とそこにある感情の機微が巧みかつ上品に描かれる。直截な感情表現や状況説明は極力抑えられ、登場人物の仕草や目線の動き、会話の中で生まれるわずかな「間」によって彼女たちの心情をすくいとっている。また、登場人物のセリフ(特にモノローグ)や各話の副題も洗練されており、文学作品のような上質さを備えている。個人的には第6話の副題である「言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて」が気に入っている。第6話は二人の関係の実態が明らかになる回だ。視聴するまでは副題の意味に気づかないが、視聴後、燈子と侑の思考を理解したうえで副題を読み返すと「なるほど」と唸ってしまう。(好きという)言葉を閉じ込めているのは侑であり、(好きという)言葉で(侑を)閉じ込めているのは燈子だ。たった十数文字で彼女たちの立ち位置を完璧に表現している。全部上げるとキリがないので割愛するが、他の回の副題もセンスが際立っている。というか、OP・EDからアイキャッチ、登場人物のセリフ、水彩画のように透明度の高い画、声優の演技、劇伴にいたるまで全てがハイセンスで、安っぽさが一切ない。あらゆる要素が絶妙に調和し、『やが君』の世界を生み出している。また、個人的な好みになるが、本作は話のつくりが極めてロジカルだ。一通り視聴し、彼女たちの心情を把握した後で改めて見返すと、登場人物の言動と行動一つ一つに整合性がとれていることに気が付く。不自然さが一切ないのだ。見直すたびに良く作りこまれた作品だなあと感じる。「百合アニメ」とか、そんな分類がどうでもよくなるくらい、作品の「質」が極めて高い。同傾向の作品というと『リズと青い鳥』が一番に思い浮かぶが、『やが君』は1クールのテレビアニメでこれを実現しているのが驚異的だ。大豊作だった2018年のアニメの中でも、他の作品とかぶらない独自の輝きを放っていたので、これまでいろんなアニメを見てきた人にとっては新鮮な面白さがあると思う。一方で、ある意味アニメっぽくないアニメなので、アニメ=俗っぽいという等式が出来上がってしまっている人にもおすすめできる。

 

まとめ&小言

正直な話、1~6話に限って言えば、『やが君』は★5.0だ。全体評価を★4.5に下げたのは、中盤8~10話あたりで作画のクオリティーが若干落ちてしまったのが原因だ。いや、普通のアニメと比較すれば何ら問題のないクオリティーを保っているのだが、いかんせん序盤の作画が素晴らしすぎた。夕日が作り出す陰影、キャラクターの何気ない、ともすれば見逃してしまいそうな些細な仕草など、細部の描き込みが序盤と比較すると明らかにトーンダウンしてしまっている。「繊細さ」「緻密さ」「静謐さ」が美点の作品なので、作画にわずかな粗さが生じてしまったのは個人的に非常に残念だった。ラブコメ作品で原画枚数が少し減ってしまったというのとはことの重大さが違うのだ。

 

あと、これは絶対的な欠点というわけではないのだが、『やが君』はスマホ片手にごろんと寝ころびながら見ても一切楽しめない。しっかり腰を据え、セリフを聞き逃さないよう、登場人物の一挙手一投足を見逃さないよう集中して観ることで初めてすばらしさが分かる。

 

気になる点を挙げるとすればこんなところだが、作画のわずかな落ち込みにさえ目をつぶればケチのつけどころのない秀作だ。このレビューを読んで、「なんか変わった雰囲気のアニメっぽいな」「ちょっと面白そう」と思った人は多分問題なく楽しめると思うのでぜひ視聴してみてほしい。次はもう少し男っぽいアニメを紹介する予定。