アニメノギス

理屈っぽいアニメレビュー

『BLACK LAGOON』のレビュー:★★★★☆(4.5)

 

ガンアクションよりもスリリングな価値観のぶつかり

 

今回紹介するのは2006年放送の『BLACK LAGOON』。ここまで取り上げた作品の評価がいずれも★4.5になっているのはただの偶然なので気にしないでほしい。もっと評価の低いアニメは掃いて捨てるほどあるが、ちょうどレビューを書きたいと思ったアニメがたまたま同じ評価になっているだけだ。

 

キービジュアルからお察しの通り本作はゴリゴリのハードボイルド。舞台となるのは悪党の中の悪党が集う架空の犯罪都市、ロアナプラ。そこで繰り広げられるガンアクションが「表向きの」見どころとなっている。

 

ところで僕はこの手のクライムアクションはアニメ実写問わず全く好かない。そもそも残酷な描写が嫌いだし、銃撃戦をかっこいいと感じたことがない。(次元よりも五右衛門が好き)。

 

にもかかわらず僕はこの作品を高く評価している。なぜか。それはBLACK LAGOON』の本質が銃撃戦ではなく、思想や価値観のぶつかり合いを核としたスリリングな論戦にこそあるからだ。会話劇にスリルを生み出すには、登場人物の設定(生い立ち、考え方、性格等)がしっかり固まっており、なおかつ声優の演技と脚本の両方が優れている必要がある。これは僕がアニメに求める最も重要な要素の一つだ。

 

実際、『BLACK LAGOON』はアクションの作画が特別優れているわけでもないし、展開の面白さで視聴者を引き込む『STEINS;GATE』のような作品とも異なる。この作品の魅力は会話劇の圧倒的なエネルギーと脚本のセンスにこそある。

 

サラリーマン VS アウトロー

先に述べたように『BLACK LAGOON』においては思想や価値観のぶつかり合いが重要な要素となっている。そしてその中心にいるのが主人公の岡島緑郎(ロック)だ。

 

ロアナプラの悪党は言葉のやりとりよりも直接的な暴力を好む。すぐに頭に血が上り、躊躇なく引き金を引くような危険な連中ばかりだ。一方でロックは生粋の悪党ではなく、元は大手日系企業に勤めるサラリーマンだった。彼は仕事で東南アジアへ出向中、ロアナプラの海賊に人質として誘拐され、勤め先の会社から切り捨てられたことをきっかけにこの犯罪都市で暮らし始める。ロアナプラでロックは「ラグーン商会」という名の知れた運び屋で雇われることになるが、ラグーン商会もまたロアナプラを代表するアウトローで、利益のためならば法や倫理に背く仕事も引き受ける組織だ。

 

ここで肝心なのは、ロックは日本で何不自由なく育った善良な一般市民に過ぎないということだ。ロアナプラで暮らしはじめたのも、あくまで勤務先の会社に裏切られたことをきっかけとした半ばやけくその選択であり、元々彼に悪行への耐性があったわけではない。当然、倫理に背く仕事(例えば人質となった子供の輸送)を平然とこなせるわけがない。切った張ったの世界を生き抜いてきたアウトサイダーの中で仕事をするにはロックは優しすぎる。

 

ではなぜロックはロアナプラなんかに住んでいるのか。その理由は二つある。一つは上司のご機嫌伺いばかりのくだらない日常に嫌気が差していたこと。もう一つは会社の裏切りの件で、ロアナプラの「非日常」を味わってしまったことだ。ロックは会社から差し向けられた傭兵部隊を自らの作戦で撃退するが、その際「してやったぜ!」という一言を発している。生の実感を持てない灰色の日常にいたロックにとって、東南の美しい海と青空の下、魚雷艇で刺客を爆撃した爽快感はあまりに鮮烈だった。それゆえ彼はロアナプラでの非日常を選んだのだ。

 

以上をまとめると、ロックはロアナプラの残酷さや不条理、非人道的な側面を受け入れられない一方で、生死がリアルに感じられる非日常へのあこがれを捨てきれないという板挟みの状況にいる。素が善良な彼にとっては、ロアナプラの人間(敵味方問わず)の悪行は受け入れ難い。そしてその悪行が彼にとって譲れない価値や倫理を犯す場合、ロックは相手が凶悪なマフィアであろうと食ってかかる。

 

ロックは土壇場での肝が据わっており、頭の回転も速い。また、彼にはサラリーマンとして培った話術や知識、そして知識階級を戦い抜いてきたことに対するプライドがある。これらはロアナプラの悪党が決して持ちえないロックだけの武器だ。この強みを活かし、暴力を一切もたないロックがロアナプラの凶悪な悪党相手に丸腰で渡り合うところが最高にアツい。「ホワイトカラーにはホワイトカラーなりの戦い方があるんだ!日本のサラリーマンなめんな!」というような痛快さがある。

 

例えば、第23話でロックはロアナプラの頂点に君臨するロシアンマフィア「ホテルモスクワ」のボス、バラライカを激怒させてしまう。ホテルモスクワは日本のやくざに雇われて現地の抗争に参戦し、ロックはバラライカの通訳として同伴していた。ホテルモスクワの圧倒的な戦力により敵対勢力は速やかに弱体化し、勝敗は決したも同然だったが、バラライカはそこで手を緩めず、敵の組の未成年の娘まで手にかけようとしていた。それを知らされたロックは雇われの身であるという立場も忘れ、バラライカの作戦に異を唱える。

 

「新組長は未成年だ。あなたにも信じる正義はあるだろう」

 

分をわきまえず青臭い正義を振りかざすロックにバラライカは激怒し、ロックを車のボンネットに叩きつけ、額に銃を突きつける。背後ではロックとバラライカのボディーガードが互いに銃を突きつけ合っている。

 

バラライカさん、あんたの勝利は確実で、失うものは何もない。それなのにまだ、足らないのか」

「足らないな。命を乞う時のコツは二つ。一つは命を握るものを楽しませること。もう一つはその人間を納得させるだけの理由を述べることだ。お前はまだどちらも満たしてはいない。さあ踊れ!そうまでして助ける義理がどこにある!」

 

ちなみにこのときのバラライカは本当に恐ろしい。自分がロックの立場だったら泣きながら謝罪して命乞いしていると思う。しかしロックは引かない。恐怖に声を震わせ、額に汗をかきながらも、不敵な笑みを浮かべて見せる。

 

「あんたは勘違いをしている。義理などではなく、正義という言葉も方便だ。理由なんてたった一つだ。そいつは、俺の趣味だ。」

「ほう?趣味?」

「そう、趣味だ。ドブの中でくたばる趣味もあれば、こういうのもある。根本的なところでは、あんたと同じですよ。」

 

この答えにバラライカは大笑いし、ロックから銃を離し去っていった。(ちなみに「ドブの中でくたばる趣味」というのは、バラライカを含め、ロアナプラの悪党たちの自ら進んで争いの中に飛び込んでいく生き様を揶揄している)。この時点ではロックはバラライカの説得自体は達成していないが、バラライカに引き金を引かせなかった時点でこの勝負はロックの勝ちだったと言える。実際、この一幕でロックを気に入ったバラライカは、最終的に彼の意見(未成年の娘まで殺す必要はないというもの)に歩み寄る姿勢を見せる。したがってロックはバラライカを言いくるめて懐に入り込むことに成功していると言えるだろう。

 

バラライカはロックの命を握った上で、助かりたければ自分を楽しませるか、あるいは納得させるだけの理屈を提示することだと告げた。ロックが命拾いしたのは、彼の詭弁がバラライカを「楽しませる」に足るものだったからだ。また、ロックは論点を正義や道理から個々人の趣味趣向にすり替えることで、バラライカを理屈で「納得させる」ことを回避している。

 

少女を救うことを「正義」とするならば、そこには正当性や道理が必要となる。ロックははじめ、未成年は襲うべきではないという正義をバラライカに認めさせようとした。しかし、自らの実力で過酷な戦場を生き抜いてきた戦争狂のバラライカにとって、力を持たないロックの他力本願な理想は無価値に等しい。つまり、ロックがバラライカを納得させることができる理屈など最初から存在しないのだ。

 

そこでロックは論点をずらし、両者のスタンスは単なる「趣味」に過ぎずそこに本質的な差はないとしたのだ。「少女を殺すこと」と「少女を救うこと」を趣味としてしまえばそこにどちらが正しいかというような優劣はなくなる。いわばロックは負けが確定していたゲームを引き分けに終わらせたのだ。また、ロックの詭弁は命を握られている人間が発するにはあまりに大胆不敵で、馬鹿げたものだった。前半でも述べたがロックは変なところで肝が据わっている。バラライカはロックのこの土壇場の度胸と機転を気に入り、彼の意見に耳を傾けるようになったのだ。

 

ここで誤解を解いておくが、別にロックはいつもこんなに体を張っているわけではない。むしろ普段は周りの悪事に目を瞑ることの方が多い。しかし、それでもやはり『BLACK LAGOON』の魅力はロックを中心とした会話劇にある。今回のような命懸けのものでなくとも、ロックと周囲の価値観・人生観のぶつかり合いはしばしば起こる。その対話一つひとつに本作のエッセンスは詰まっている。

 

脚本・演技・設定

BLACK LAGOON』の醍醐味は会話劇の緊迫感や駆け引きの面白さにある。しかし、こういうシリアスな会話劇をチープにすることなく成立させるのは案外難しいと僕は考えている。本作でそれが実現しているのは、脚本・声優の演技・各登場人物の設定の3つが極めて優れているためだ。これまでのレビューでも述べたが、作品に没入感を生み出すためには、登場人物一人ひとりの行動やセリフに不自然さとチープさがないことが何よりも重要だ。そしてそのためには綿密な人物設定とそれに基づいた質の高い脚本づくりが必要になる。そこにさらにリアリティや切迫感を付与するには作画と声優の演技のクオリティが求められる。『BLACK LAGOON』はかなり昔の作品ということもあって、近年の神作画と言われるようなアニメと比較すれば作画自体は劣っているとは思うが、上の3点で他の多くの作品を圧倒している。

 

また、ここまでシリアスな会話劇ばかりを強調してきたが、それ以外の何気ない会話についても、いかにも外国人らしい皮肉やジョークが小気味よく、聞いていて楽しい。そして外国人らしいジョークや芝居がかったセリフが安っぽくならずさまになっているのは、やはり声優の腕がいいからだ。

 

まとめ&小言

BLACK LAGOON』の面白さは、登場人物同士の会話およびそれを構成するセリフ一つ一つにつまっている。考えてみてほしい、会話劇が面白いということは、つまり作品全体を通して常に面白いということだ。実際、その通りなのである。『BLACK LAGOON』は終始面白い。極端な展開や作画、かわいいヒロインなんていなくても、設定とストーリーがよく練られてかつ脚本の質が高ければアニメは面白くなるということを、この作品は証明している。

 

ただし、ストーリーの難解さには少し苦言を呈しておきたい。まず、軍事用語や政治用語、架空の組織や土地の名称など、予備知識がなければ理解が困難なタームが非常に多い。また、物語に絡んでくるマフィアなどの組織の数も多く、かつそれぞれの利害関係が複雑に入り組んでおり、裏切りも頻繁に起こる。そのため、ストーリーを俯瞰的に把握するのが結構難しい。また、登場人物のセリフも軽妙で楽しくはあるのだが、ひねりの効いた独特な言い回しをする場合が多く、ストーリーの理解の難しさに拍車をかけている。こういう部分が面倒だなと感じる人には向かないアニメかもしれない。僕は一週目で理解できなかった部分を改めてネットで調べ、よく把握した上で二週目を観ると更に面白いと感じた。ここはまあ向き不向きが分かれるところだとは思う。「アニメ見るのに頭なんて使いたくねえ!」という人にはオススメできない。あと、グロテスクな描写もちょいちょい出てくるので、注意が必要。ただしこういう部分に目を瞑れば、本当にケチのつけようのない作品だ。

 

結局また長ったらしい文章になってしまった。もっと要点を絞った文章を書けるようになりたいものだ。