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理屈っぽいアニメレビュー

『グランベルム』のレビュー:★★★(3.0)

 

ロボアニメとして見るべきではないロボアニメ 

 

2019年夏アニメも大部分が最終回を迎えた。個人的には、今期は豊作でもなければ不作でもなく割と平均的な期だったと思う。今回は、夏アニメの個人的覇権予想だった『グランベルム』の感想を書いてみた。(※ネタバレあり。

 

 

 

導入

僕がこの作品に期待した理由は2つある。1つは脚本が『宇宙よりも遠い場所(よりもい)』花田十輝であること。もう1つは監督が『リゼロ』の渡邊政治監督であること。

 

花田十輝は “オリジナルから原作ものまで、魔法をかけたかのようなときめきを創り出すストーリーテラー” で、その実力は『よりもい』をはじめとする数々の名作が証明している。一方、渡邊監督は、『リゼロ』を観た人なら分かると思うが、人間のどす黒い心情を生々しく描くダークな表現を得意としている。この二人が手を組むオリジナル作品ということで、「一体どんな化学反応が起こるのだろう」と大いに期待した。

 

しかし、最後まで観た感想を正直に言うと、良い所はあるが、悪い所がそれを帳消しにしていると感じた。

 

 

悪かった点

冗長な戦闘シーン

本作の一番の問題は、戦闘シーンの魅力が薄いこととその尺が長いこと。戦闘シーンが微妙なのには3つの理由がある。

 

 

① アルマノクス(魔法人形)がださい

オブラートに包まずに言えば、頭身が低くてトロそうな見た目をしている。放送前にアルマノクスのデザインを見たときは「ダサいけど肝心なのは話の中身だしそれほど気にしなくてもいいだろう」と考えていた。しかし、実際に作品を見てみると、アルマノクスのチープなデザインが明らかに戦闘の緊迫感を削いでいた。「ロボットが戦うアニメなんだからロボットはかっこいい方がいい」という当たり前の事実を強く認識させられた。

 

② 展開が単調

「倒したと思ったら倒せてなかった」的な使い古された演出が多く、アルマノクスの戦闘に関しては全て結果が予想できてしまった。

寧々が負けることも、水晶が実はものすごく強いことも、アンナが新月に倒されることも、大体の視聴者は予想できていたと思う。

結果が見えている戦いはつまらない。結果が見えていたとしてもその過程で予想外の展開があればまだいいのだが、それさえなかった。

 

③ 戦闘そのものも単調

それぞれのアルマノクスは異なる属性の魔法を使うが、各個体の攻撃手段はせいぜい2、3パターンしかない。最初から最後まで同じ攻撃手段しかとらないので、回を重ねるにつれ戦闘シーンに飽きてくる。個人的には4話あたりからきつかった。

 

この3点のせいで、本作のバトルシーンははっきり言ってつまらない。

 

加えて、『グランベルム』はそのバトルシーンの尺が非常に長い。これが結構つらい。後述するが、この作品の魅力はキャラの感情を汲みだすセリフ回しやダークな表情の作り込みといった要素にある。つまり、戦闘以外の心理描写が面白い作品なのだが、その美点を冗長なバトルシーンが帳消しにしまっている。

 

 

設定のつめの甘さ

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』『宝石の国』のレビューでも説明したことだが、世界観の完成度というのは、作品への没入感を左右する重要なファクターである。

 

その重要度は、SF色やファンタジー色が濃い作品ほど高い。例えば、『ハリー・ポッター』が老若男女を虜にしたのは、魔法に関する設定(呪文の語源、法則性、杖の材質)や舞台設定(魔法省、血統、法律)がよく練られており、確固たる世界観を確立していたからだ。設定が緻密であるため作品世界の実在感が強く、読み手は自然と作品の中に入っていくことができる(もちろんシナリオが優れているというのが大前提だが)。

 

一方で『グランベルム』はこの部分が弱い。魔法、およびそれを奪い合う戦い「グランベルム」に関する設定(バックグラウンドや法則、原理など)が不十分で、いくつかの重大な疑問点をほったらかしにしている。

 

・グランベルムが琵琶湖にあるのはなぜ?

・魔力なしでも魔術が使える仕組みは?

・マギアコナトスの意志の正体(根源)は?

・グランベルムの参加者が全員女の子なのはなぜ?

 

ストーリーが壮大な割に設定に具体性がないので、作品全体がチープな印象を与えてしまっている。本作のキーであるマギアコナトスにしても、よく分からないデザインも相まって何だかはりぼてじみて見える。アルマノクスのコックピットや動かし方についても、「お芝居感」「作り物っぽさ」が感じられる。結果として、観ている側としては作品世界に没入しづらい。個人的にはここが大きなマイナス点だった。

 

 

良かった点

悪い点ばかり書いてきたので誤解を与えてしまったかもしれないが、個人的にはこの作品、好きか嫌いかで言えば好きだ。確かにバトルシーンは間延びしていたし、世界観もいまいちハマらなかったが、それでも途中で切ろうとは思わなかった。その理由は、『グランベルム』がキャラクターの心理描写に秀でていたからだ。

 

この作品の濃厚な心理描写は二つの要素に支えられている。それは、セリフと演出だ。

 

 

内面を映し出す巧みなセリフ回し

『グランベルム』は、少女たちの願いや価値観のぶつかり合いをテーマにした作品。この内面の掘り下げこそ、本作の最大の見どころである。

 

――  魔力に愛され、そのせいで孤立を深めた新月

――「何もない自分」という、漠然とした不安に苦しむ満月

――  誰よりも魔力に焦がれ、だが魔力に愛されなかったアンナ

――「誉なき勝利」を捨て、「真っ向勝負」を選んだ寧々

 

このような少女たちの心情が、心にすっと染みこむ自然なセリフを通して描かれる。

 

 

例えば、第2話で満月が自分の悩みを新月に打ち明ける以下のセリフ。

 

「別に、周りに悪い人がいるわけじゃない。自分が孤立しようとしているわけでもない。

でも、どこにいても。自分がいてもいなくても、たぶん同じで。

みんなやさしいんだけど、でも、きっと私がいなくても全然平気で。

なんか、自分が透明人間みたいで。だから...。」

 

運動も、勉強も、料理も、人並み以上の能力を持たない満月。そんな彼女の「自分に価値を見出せない」という悩みが、この巧みなセリフを通して視聴者に自然と共有される。視聴者に情報を伝達するための道具としてのセリフではなく、キャラクターの口から自然と発せられる「生の」セリフとして感じられるのが、花田十輝の素晴らしい(個人的に好きな)ところだ。

 

先ほど、「戦闘シーンでは没入感が得られなかった」ということを書いたが、逆に上のような会話シーンでは、自然と物語の中に入り込んでいけた。それに、オチの見えているバトルパートよりも、少女の危なっかしい精神が浮き彫りになる会話パートの方がよっぽどスリリングだ。(こういうところが面白いんだからバトルシーンはもっと減らせば良かったのに...と正直思った。)

 

 

心の「闇」が際立つどす黒い演出

セリフだけでなく演出も「巧い」。どういった演出かというと、人間の凶暴性や負の感情を際立たせるダークな演出だ。全編に渡って細かい演出が随所で効いているが、最も印象的だったのはやはり第6話だ。

 

第6話について語りたい

この回、アンナは3人の女性から絶望を突きつけられる。

 

1人はアンナの母。彼女はプリンセプスになることに執着するアンナに対し、魔術の才能がないという事実をつきつけ、グランベルムから身を引くよう勧告する。それはアンナの幸せを願っての言動だったが、そんな想いは彼女の耳には届かない。彼女からすれば、母の言葉は、これまで積み上げてきた自分の人生を根底から否定するものだ。

 

アンナは地団駄を踏んで母の言に反対するのだが、ここの芝居が素晴らしい。反論に至るまでの絶妙な間・日笠陽子の完璧すぎる演技・床を踏む動作が徐々に荒々しくなっていく過程などの演出が完璧にかみ合い、アンナの黒々とした感情がリアルに伝わってくる。

 

失意のアンナを更に追い込むのが弟子の水晶

 

水晶 「し~しょうっ!」

アンナ「...何?」

 

(カットが切り替わった次の瞬間)

 

水晶 「悪いけど、弟子やめるわ。あなた、強いかと思ったけど全然だったー。エルネスタの方がずっと強いんだもん」

 

傷口に塩を塗るどころか、傷口にナイフを突き立てるような行為だ。飼い犬に手を噛まれたアンナの憎悪が画面越しに痛いくらい伝わってくる。そして、ここの水晶がとにかく憎たらしい悠木碧の演技が優れているのは当然のこととして、カメラワークや表情の作り方などの「見せ方」が本当に巧い。このシーンでも渡邊監督の演出力がよく表れている。

 

そしてアンナに最後のとどめを刺すのが、幼き日の友、今は憎き新月だ。

 

これまで、魔術師としてのアンナの唯一の自信であり、心の支えだった大魔法。新月は、その魔法がアンナの魔力ではなく、自分の魔力によって成立させた魔法であるという事実を彼女に告げる。

 

唯一の誇りを失い、崩れ落ちるアンナ。その表情にはこれまで見せていた憎悪さえなく、純粋な絶望だけが浮かんでいる。そして、全てを失ったアンナに追い打ちをかけるように、彼女の母は魔術師以外の道を選ぶよう彼女に語りかける。それは子を想う母の愛だが、その愛さえも彼女にとっては毒にしかならない。

 

こんなやり方で彼女が救われるはずがない、僕はそう思った。だから、アンナが最後に「エルネスタ、頑張るのですよ」と穏やかな笑顔を見せたときは、ものすごく違和感を覚えた。「アンナが今の説得で正気を取り戻すのは不自然すぎる。これで丸く収まったら『グランベルム』じゃない。まだ何かあるはずだ」と考えた。

 

Cパートでどんでん返しがあるかもしれないと思いながらEDを見ていたところ、サビの途中でぶつりと曲が途切れ、画面が暗転。「あれ?録画失敗したかな?」思ったのも束の間、暗転した画面から何かが滴る音が聞こてきた。画面に浮かび上がったのは、血を流し、だらりと垂れ下がった一本の腕だった。

 

一瞬脳の働きがフリーズした後、その腕がアンナの母のモノであり、襲ったのがアンナであると理解した瞬間、ひゅっと背筋が凍るのを感じた。アンナは一家に伝わる魔石を手に入れるため、母の手首を切ったのだ。魔石を手にとり、恐ろしい笑みを浮かべるアンナを映し、第六話は幕を閉じた。

 

観終えた後、しばらく心臓がバクバクうるさかった。それくらい衝撃的なラストだった。何かありそうと身構えてはいた。だけど、EDを途中カットしてCパートに移行するなんて誰が予想できただろう?和解と見せかけてアンナが闇落ちするという展開自体は想定していたのだが、あまりにも演出が強烈過ぎて面食らってしまった。完全に渡邊監督の思うつぼである。アンナのえげつない表情。日笠陽子のぞっとするような演技。儚く美しいED曲からの急転直下。これらが合わさり、理性が吹っ飛んだアンナの狂気を最大限に演出していた。 

 

少々長引いてしまったが、6話について語りたいことは以上だ。この回は本当に完璧だった。だが、6話以外でも、渡邊監督の演出力というものが要所要所で効いている。この演出力と先に説明したセリフ回しの巧さのおかげで、『グランベルム』のキャラクターの感情には重みがある。「花田十輝と渡邊監督が起こす化学反応に期待していた」ということを記事の冒頭で書いたが、その化学反応はキャラクターの心理描写・感情表現のところでしっかり表れていたと思う。

 

 

まとめ

『グランベルム』はロボットが足を引っ張っていた。アルマノクスのバトルシーンが今の3分の2だったら全体の印象もだいぶ違っていたと思う。キャラクターの心理描写の部分は出来が良く、個人的にすごく好みだっただけに、残念に感じた。

 

次回作に期待。