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理屈っぽいアニメレビュー

『キャロル&チューズデイ』のレビュー:★★★☆(3.5)

 

洋楽好き必見!芸術センス極振りのオリジナル音楽アニメ

 

今回は2019年夏アニメの『キャロル&チューズデイ』をネタバレなしでレビューしていく。

 

 

あらすじ(公式HPより引用)

人類が新たなフロンティア、

火星に移り住んでから50年になろうという時代。

多くのカルチャーはAIによって作られ、

人はそれを享楽する側となった時代。

 

ひとりの女の子がいた。

首都、アルバシティでタフに生き抜く彼女は、

働きながらミュージシャンを目指していた。

いつも、何かが足りないと感じていた。

彼女の名はキャロル。

 

ひとりの女の子がいた。

地方都市、ハーシェルシティの裕福な家に生まれ、

ミュージシャンになりたいと思っていたが、

誰にも理解されずにいた。

世界で一番孤独だと思っていた。

彼女の名はチューズデイ。

 

二人は偶然出会った。

歌わずにいられなかった。

音を出さずにいられなかった。

ふたりなら、それができる気がした。

 

ふたりは、こんな時代にほんのささやかな波風を立てるだろう。

そしてそれは、いつしか大きな波へと変わっていく―――

 

人類が火星に移り住み始めた近未来を舞台とし、そこで運命的な出会いを果たした二人の音楽少女、キャロルとチューズデイの活躍を描いたオリジナル作品。ジャンルとしては音楽ものに分類される。

 

ところで、アニメにおいて作中歌やBGMなどの音楽は作品の雰囲気を決定づける重要な要素の一つだが、最近ではアニメミュージックのコンテンツ化を背景に、作品の収益源としてこれらの重要性が高まっている。『ラブライブ!』をはじめとするアイドルものや、劇中歌の存在感が強烈な『天気の子』などのヒットがその流れを如実に物語っている。『キャロル&チューズデイ』もこういった作品のご多分に漏れず、「一山当てる」ことを狙って作られた作品だ。

 

しかしながら、『キャロル&チューズデイ』はただの流行の後追いではなく、他の音楽アニメがやってこなかったアプローチにチャレンジした意欲作である。今回はその辺の魅力を中心にネタバレなしで紹介していく。

 

 

『キャロル&チューズデイ』の「ここ」がすごい

本作の特筆すべき点は、アニソンの枠を超えたガチの「洋楽」、こだわり抜かれた演奏シーン、洋楽の雰囲気にマッチした世界観、演出センスが光る作曲シーンの4つだ。 

 

アニソンの枠を超えた「ガチの」洋楽

百聞は一聴に如かず ↓

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何も言わずにこの曲を聴かせたら誰もアニメのオープニングソングとは気づかないだろう。オープニングだけでなく、『キャロル&チューズデイ』で登場する楽曲は全て洋楽で統一されており、それら一つ一つが洗練されている。

 

キャラクターが歌う劇中歌のボーカルには、会話シーンを演じる日本人声優とは別に、オーディションで選ばれた海外アーティストが起用されている。洋楽に明るくない僕が知っていたのはチューズデイ役のセレイナ・アンさんだけだったが、どの歌い手も本当に歌が上手い(語彙力)。特にメインの3人(セレイナ・アン、ナイ・ブリックス、アリサ)は作品に関係なく普通にファンになってしまうくらい魅力的なボーカリストだった。

 

そして、一番金がかかっていそうなのが作曲。なんと、総勢29名ものコンポーザーが本作の楽曲制作に関わっている。

 

人数の多さに加え、半数近くが海外ミュージシャンという点も常軌を逸している。手間も金も相当かかっているはずだ。この作品の楽曲にかけるプロデューサーの本気度が伝わってくる。

 

数々のクリエイターから生み出される本作の楽曲は、ジャンルも幅広く、一曲一曲が上質だ(中にはネタ曲みたいなやつもあるが)。総曲数は40にも上り、それぞれの曲にしっかりとした個性があるため、24話通して聴き飽きることがない。こと劇中歌のバラエティにおいて、『キャロル&チューズデイ』の右に出る作品は存在しないだろう。また、幅広いジャンルの楽曲は、人々の多様な価値観という本作のテーマを象徴するツールとしても重要な役割を果たしている。

 

『キャロル&チューズデイ』の洋楽が本格的であることのもう一つの証拠は、本作が「国内」ではなく「世界」に向けて作られた作品であるということ。Netflixによる世界配信、海外ミュージシャンの起用、英語表記が用意された公式サイト、そして、Youtubeにおける外国人コメントの多さが、この作品の真のターゲットが海外の音楽ファンであることを示している。

 

この本格的な洋楽を楽しむという目的だけでも、『キャロル&チューズデイ』は十分観る価値のある作品だ。

 

 

こだわり抜かれた演奏シーン

バトル、日常、スポーツなど、アニメのジャンルにもいろいろあるが、中でも音楽ものは特に作画が大変なジャンルだ。まず大前提として、演奏シーンでは曲のリズムに合わせてキャラの動きを作る必要がある。歌ものであれば歌詞を考慮した上でキャラクターの口の動きを作らなくてはならない。また、人物だけでなく楽器の作画も必要になる。その作画のカロリーの高さゆえ、キャラの人数と曲数が多いアイドルもの・バンドものなどでは、演奏シーンにはCGが用いられることが多い。

 

一方で、『キャロル&チューズデイ』は幅広いジャンルの楽曲が数多く登場するにもかかわらず、それら全てを手描きで、しかも極めて高いクオリティで作画している。これは並大抵のことではない。楽曲制作に対するこだわりは既に説明した通りだが、アニメーションもそれと同じくらいこだわって作り込まれている。

 

その手法は、ミュージシャンの実際の演奏をマルチカメラで捕捉し、それをガイドにアニメーターが作画するというもの。製作過程の紹介動画を見れば分かるが、金と時間と人手のかけ方が尋常じゃない。

 

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実際の演奏をガイドにしているためだろう。楽器を鳴らす手の動きや歌っているときの表情などが音楽と完全にシンクロしており、少しのずれも感じさせない。作画でこの精度を実現しているのは驚異的だ。作画枚数も尋常じゃなく、CGに肉薄するくらい「ぬるぬる」動く。それでいながら、作画にしか出せない「けれん味」も兼ね備えている。演奏シーンのアニメーションとしては文字通り最高のクオリティと言えるだろう。

 

 

洋楽の雰囲気にマッチした世界観

ところで、記事の頭で本作を「芸術センス極振り」のアニメと評したが、それはこの作品のセンスが音楽的な部分に限った話ではないからだ。

 

この作品のセンスが感じられる音楽以外の要素。それは世界観だ。

 

あらすじにもある通り、『キャロル&チューズデイ』は人類が火星に移住した未来の話。舞台となる火星首都のアルバシティは、アメリカ的なカラッとした街並みにSFのニュアンスをひとさじ加えたような独特な景観をしている。

 

特筆すべきは、SF的描写の中にもしっかりと生活感が感じられる点。ハイテクとローテクの匙加減が絶妙で、フィクションでありながら強い現実味を帯びている。例えば、近未来的な高層ビルが立ち並ぶ都市部では歩道に空間的な余裕が設けられており、都市緑化にも配慮されている。住人のQOLにも配慮した、現実でも環境意識の高い先進国では取り入れられ始めている都市デザインだ。SF作品の多くは都会を息苦しいビルで灰色一色にしてしまいがちだが、個人的にはそういう世界観はかえって嘘くさく感じてしまうので、『キャロル&チューズデイ』の「現実的な未来都市」は好印象だった。

 

都市部ではハイテクが目立つ一方で、キャロルとチューズデイが住む下町や町はずれのスラムなどでは、欧米的な生活感が強く感じられる。冷蔵庫の中身、バーガーショップの内装、川沿いの壁に描かれたグラフィティなど、一つ一つの描写がちゃんと「アメリカ」していて、安っぽさが一切ない。そして、その濃厚な生活感の中に、SF的な設定が違和感なく溶け込んでいる。例えば、飲食店での注文は机と一体になったタッチパネルで行うのだが、このデザインのバランスが素晴らしい。文明の進歩を視聴者に感じさせるだけのハイテクさは確保しつつも、やりすぎていない。電子決済が導入されたコインランドリーでは、決済用のパネル(ハイテク)とドラム式洗濯機(ローテク)の調和っぷりが見事で、このあたりからも本作のデザインセンスがびんびん伝わってくる。

 

ちなみに、本作の世界観設定は、ロマン・トマとブリュネ・スタニラスという二人の海外デザイナー(アートディレクター)が担当している。欧米の生活感・空気感がやたらとリアルで芸術的センスが高いのはこのためだ。

 

また、『キャロル&チューズデイ』のこの洗練された世界観デザインは、それ自体がオシャレで魅力的なだけでなく、劇中の洋楽と絶妙にマッチし、その魅力をさらに引き立てる働きをしている。キャロルとチューズデイが音楽を奏でる場所はアパートの一室や川沿いのベンチ、年季の入ったスタジオなど様々だが、その一つ一つが楽曲の雰囲気にピタリとはまり、相乗効果を起こすことで作品の芸術性を確固たるものにしている。

 

曲とそれに合わさるアニメーションが非常に本格的なだけに、もし世界観設定が少しでもチープだったら全体のバランスが大きく崩れていたことだろう。全編英語歌唱という冒険に出たこの作品が音楽アニメとして「スベらなかった」のは、音楽から世界観までを含めたトータルデザインが秀でていたからだ。

 

 

演出センスが光る作曲シーン

ところでこの作品、演奏シーンが優れているのは先述の通りだが、個人的には、演奏シーンよりも作曲シーンの方が印象的だった。

 

足踏みや手拍子などの原始的なリズムや漠然としたフレーズから始まり、徐々にメロディーが出来上がっていく過程が、すごく生々しく描かれる。僕は曲なんて作ったことはないが、この作品を観て「音楽のフレーズってこんな感じで生まれるのか。素敵だな。」と思った。

 

そう、素敵なのだ。ある瞬間、何かが心の琴線に「ピンと」触れ、それをきっかけに曲が出来上がっていく。そんな奇跡的な光景を、『キャロル&チューズデイ』はうまくアニメーションに落とし込んでいる(作曲シーンの数自体はそれほど多くはないが)。

 

 

個人的に一番ぐっときたのは第三話。「Round & Laundry」という曲が生まれるシーン。

 

コインランドリーに来たキャロルとチューズデイは洗濯を待つ間、ドラムの中でくるくる回る洗濯物に、自分たちの人生を重ねる。

 

 

「なんか、私たちみたい。ずっと止まってたのにいきなり回って。巡り合って。色んなもの詰め込まれて。」

 

何気ないチューズデイのつぶやきにヒントを得たキャロルは簡単な足踏みを始める。足踏みに手拍子が加わり、チューズデイもリズムを取り始める。互いを見つめながら、様子を窺うように、メロディーを探っていく二人。

 

「Round and ...round...」「Round and round......Hu hu hu」まだ歌詞になっていないハミングは、だが次第に具体的なメロディーへと形を変えていく。身体が自然と揺れ始める。手拍子に代わり椅子を叩き始めるキャロル。立ち上がり、ステップを取りながら洗濯ドラムを叩くチューズデイ。二人の間で様子を見ていたおじさんも、いつの間にかリズムを刻んでいる。気が付けば、僕も彼女たちと同じように膝を叩いて、身体を揺らしていた。

 

街中の小さなコインランドリーで、何気ない一言から音楽が生まれるささやかな奇跡。その数分間が圧倒的なセンスで描かれている。作画も当然優れているが、何よりも見せ方(演出)が巧い。このシーンで言えば、キャロルとチューズデイの間に赤の他人のおじさんが座っているという配置が絶妙だ。最初は怪訝な視線を送っていたおじさんが徐々に二人のメロディーに馴染んでいく描写が、このシーンを一層味わい深いものにしている。おじさん自身もいい味を出していて、彼のアメリカ的なノリの良さが曲の雰囲気と絶妙にマッチしている。ランドリーから場面が移るタイミングで完成曲「Round & Laundry」が流れ始める演出まで含めて、完璧としか言いようがない。

 

第三話だけでなく、二人から曲が生まれるシーンは総じてセンスが爆発している。これから本作を見る人は、是非、この点にも着目してみてほしい。

 

 

気になった点

ここまでで説明してきたように、『キャロル&チューズデイ』は音楽とそれに合わさる芸術的なセンスが卓越している。しかし、アニメとしての「面白さ」を問われると、正直イマイチな部分がいくつかある。それは以下のような点だ。

 

キャラ配置と内面の掘り下げが微妙

この作品の最大の欠点はこれだと思う。まず、登場人物の数が妙に多い。多い上に、必要性を感じないキャラが結構な割合でいる。色んなアーティストが多様な楽曲を歌うというコンセプトの音楽アニメなのでキャラクターが多いのは必然と言えば必然なのだが、それにしても多い。しかも、人物同士の関係性が乏しく、物語にうまく絡めていない。それぞれのキャラが、与えられた役割のためだけに存在しているような印象を受ける。楽曲のクオリティが高いおかげで音楽作品としては成立しているのだが、アニメのシナリオとしては褒められたものではない。

 

個人的な好みも入ってくるが、僕としてはもう少しキャラの人数を絞って、一人ひとりのキャラの内面を掘り下げてほしかった。キャラの掘り下げがイマイチなので感情移入できない。主人公のキャロルとチューズデイに関してはいくつかグッとくるストーリーもあったが、それでも音楽面の出来と比較したらどうしても見劣りする。また、マネージャー役のガスとロディに関しては、特に心理描写があっさりしすぎていると感じた。登場頻度的には主要キャラの筆頭なのに、扱いはその他大勢のキャラクターとそれほど変わらない。

 

シナリオに疑問

もう一つの大きな問題は離散的なシナリオだ。

 

欠けていたピースを埋め合うかのように二人の少女が出会い、音楽を奏でるという素朴なシナリオに、何故か表現の自由や民族問題など、無駄に教育的な要素を組み込んでいる。これが疑問でならない。シンプルなガール・ミーツ・ガールとして、キャロルとチューズデイの人間ドラマを描けばそれだけでおもしろいだろうに...。

 

実際、二人のサクセスストーリーがメインの第一クール(1~12話)の方が、政治問題が絡んでくる第二クール(13~24話)よりもはるかに楽しめた。この作品は多くの脚本家がシナリオ制作に参加しているのだが、ストーリーにまとまりがないのはこれが原因だと思われる。

 

キャラの人数を減らしてストーリーをシンプルにし、一人ひとりのキャラをもっと深く掘り下げた上でワンクールでまとめてほしかった。欲を言いすぎかもしれないが、音楽面でのクオリティが高かっただけにもったいなく感じたということだ。

 

声がキャラにハマっていない

この作品、キャスト一覧を見れば分かるが、脇役にもとにかく豪華声優を使っている。しかし、そのほとんどが役不足で、効果的に機能していないように感じる。

 

有名声優を使うデメリットは、その声自体が視聴者に広く認知されているということ。もっと言えば、声自体に最初からキャラクター性があるということだ。声質が特徴的な声優ほどその傾向は強くなる。そういう声優を半端なキャラに使うと、キャラが声の演技に負けてしまう。例えば、何か適当なモブキャラを神谷浩氏が担当したと想像してみてほしい。明らかに、「神谷さんがしゃべっている」という印象が強くなるだろう。そのキャラがはまり役であれば違和感なく聞けるかもしれないが、そうでない場合はどうしても気になってしまうはずだ。

 

上のはかなりおおげさな想定だが、『キャロル&チューズデイ』でも方向性としては同じ現象が起きているように感じる。『SHIROBAKO』というアニメに、「政治的なキャスティングは必ずばれる。そしてそれは作品にとってプラスにならない。絶対にです。」という名言があるが、まさにその通りの結果になっていると思う。まあ、知っている声優さんが多く出演している方が良いという人もいるので、絶対的な良し悪しとは言えないのだが...。個人的には、一作品内の有名声優の起用はもう少し抑えてほしいところだ。

 

 

まとめ

後半にかけてかなりディスってしまったが、この作品は観て後悔しない作品だ。確かに、ストーリー面でイマイチなところがあるのは否定できない。しかし、『キャロル&チューズデイ』には、それを補って余りあるだけの、芸術的な魅力がある。全編英語歌唱という思い切った切り口で、しかも楽曲・映像・設定の全てがここまでセンスの高い作品は、後にも先にもこの作品だけだろう。

 

トータルの完成度という意味で★3.5の評価をつけているが、作品の新規性と芸術面での圧倒的なクオリティに限って言えば★4.5以上の魅力を備えている。洋楽好きや、オシャレなアニメが見たいという人におすすめしたい。

 

 

 

余談

最後に、本題とは全く関係のない話。

 

今後は記事の最初で「ネタバレありかネタバレなしか」を明記しようと思う。今までの記事は考察やネタバレを含んでいるのに文章は初見の人に向けたものだったりで、一体誰に読んでもらいたいのか我ながらよく分からない記事が多かったので。

 

今後は、ネタバレなしのアニメ紹介(レビュー)記事をメインで上げていく予定。ネタバレなしで魅力を紹介するというのは中々にハードルが高いが、頑張って文章力とか構成力とか磨こうと思っている。良かったら今後も読んでやってください。

 

では、今回はこんなところで。