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理屈っぽいアニメレビュー

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』の感想・考察:★★★★★(5.0)

 

編み続けた想いは、「3本だから」ほどけない。 

 

劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』を公開初日に観てきた。今回はその感想をネタバレ全開で書いていく。

 

ところで、当初僕はこの映画のレビューは書かないつもりでいた。なぜなら、一つ前のTVシリーズの方のレビューで『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の魅力は十分に伝えられたと考えたからだ。ところが、今回の映画が予想を遥かに上回る出来で、上映後涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔をトイレの個室で拭きながら「とにかくこの作品の素晴らしさを誰かに伝えたい」と思い、帰宅後すぐに感想を書き始めた。

 

前回の記事で『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の魅力は感情の乗ったキャラクターのナチュラルな表情と、圧倒的な描写力で描かれる緻密な世界観であると話した。今回の劇場版についてもこれらの魅力は健在で、TVシリーズと同じくらい、あるいはそれ以上に素晴らしかった。これに加え、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』はある部分がTVシリーズと比べて「垢抜けている」と感じた。それは脚本演出だ。

 

 

本作の「ここ」が刺さる

ヴァイオレットの成長

この映画の「ズルい」ところは、TVシリーズからの積み重ねがあるという点だ。TVシリーズでヴァイオレットのかつての姿を見てきた人からすれば、映画の序盤からその成長ぶりを見ただけでジーンときてしまう。

 

ヴァイオレットは序盤、心を開かないイザベラに突き放され続けるが、めげずに側に居ようとする。それも、その行動は仕事の義務感からではなく、イザベラのことが心から心配で力になってあげたいという純粋な想いからきている。それは、ヴァイオレットの無表情でありながらどこか温かみのある表情や声から伺える。ヴァイオレットは露骨な感情表現はできないし、反応の薄さという点では昔の頃とあまり変化はない。しかし、表情の「温度」に決定的な差がある。そしてそのニュアンスの表現があまりに完璧だ。前回も強調した京アニの表現力が本作でも顕著に現れている。

 

ヴァイオレットが喘息を発作したイザベラを介抱するところなんか見ていると、それだけで「本当に成長したなぁ」と感慨深くなる。その翌朝、夜通しイザベラを見守っていたヴァイオレットは、「大丈夫?(眠たくない?)」と自分のことを心配するイザベラに対し、「耐久訓練を受けていたので、睡眠時間が不足しても……問題ありません」とあくび交じりに返答する。ここなんですよ。昔のヴァイオレットなら、こんな人間的な脆さは見せずに「問題ありません」と言い切っていたはずなのだ。他にも、イザベラに髪を結ってもらった際の「イザベラ様、遊んでいますね?」というおどけたセリフ。ダンスの練習中、自分に対する嫉妬をぶつけてきたイザベラに対して投げかけた「少し、疲れてしまいましたね」という優しい言葉。初めて同年代の友達と呼べる存在を得てどんどん人間らしくなっていくヴァイオレットの様子が、本当に上品に描かれている。繊細な表現力・描写力はTVシリーズでも健在だったが、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』では脚本にセンスと深みが増した分、より一層心に響いてくる。

 

誰かが誰かの人生を救うという連鎖

TVシリーズの方のシナリオは感動的だが一本道過ぎる感があるのも確かだった。一方、今回の劇場版では、主役3人(+ 1人)の関係が輪のように繋がっており、シナリオに奥行きが感じられる構成になっている。ここが、TVシリーズから最も良くなったと思う点だ。シナリオの構成がどのように違うか、わかりやすいように図で示してみた。

 

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多少不正確なところはあるが、本作のシナリオは図のような循環的な形をとっている。それは、誰かが誰かの人生を救うという連鎖によって作られる美しい輪だ。

 

要するに、生き別れたエイミーとテイラーの心が結ばれるという最終的なゴールに至るまでに、ヴァイオレットとベネディクト、もっと言えばヴァイオレットに最初の愛を与えた亡きギルベルトまでが関わっているということだ。それも、ただ単にヴァイオレットとベネディクトがエイミーとテイラーを助けるという一方通行な関係ではない。

 

例えば、ベネディクトはテイラーにポストマンになるという夢を与えるとともに、消息不明だったエイミーの居場所を割り出してテイラーの手紙を届けるという大仕事を果たした。そして、その仕事を通してベネディクト自身もポストマンという仕事のやりがいを再確認し、ポストマンとして生きることを前向きに捉えられるようになる。つまり、ベネディクトがテイラーとエイミーの人生を救うと同時に、ベネディクト自身の人生もこの二人によって救われているのだ。

 

また、ヴァイオレットは、自分がこれまでにもらってきた「愛」を他者に分け与えることで、4人の輪を強く結びつける働きをしている。ヴァイオレットはテイラーに対し、エイミーにしてもらったように髪を結ってあげ、亡きギルベルトがしてくれたように文字の読み書きを教える。テイラーに対してだけでない。エイミーに向けた優しい瞳も、思いやりのある行為も、全てヴァイオレット自身が色んな人から受け取ってきた感情だ。ヴァイオレットがこれまでに(TVシリーズで)受け取ってきた「愛」が巡り巡ってエイミーとテイラーの心を繋げるというシナリオの美しさは筆舌に尽くし難い。また、ベネディクトの場合と同様に、ヴァイオレット自身もエイミーとテイラーから大切な感情をたくさん受け取っている。これから先、ヴァイオレットが彼女たちからもらった「愛」をまた他の誰かに与えていくのだろうと想像すると、自然と心が温かくなる。

 

クライマックスの破壊力

クライマックスの破壊力がやばい。そう、ベネディクトがイザベラに手紙を渡すシーンだ。受け取った手紙がテイラーからのものだと知ったイザベラは、瞬間、イザベラからエイミーになる。もうなくなったと諦めていたテイラーとの絆。かつての生きる意味。そのテイラーから届いた手紙に、エイミーは涙を止めることができない。それを茂みから見ていたテイラーもまた、顔をくしゃくしゃにして泣いている。その様子を見つめるベネディクトもまた、柄にもなく涙ぐんでいる。あの川辺の空間に飽和している色んな人のいろんな想い、そのきっかけを生んだヴァイオレットの愛、そういった巨大感情がまとめて観客の涙腺を殺しにかかってくる。

 

そして何より胸に刺さるのは、ずっと会いたかったエイミーがすぐそこにいてお互いの心が通じ合っているのに、テイラーが彼女の前に姿を現さないところ。ここなんですよ(2回目)。エイミーとテイラーが最後まで会わないことが、この作品を傑作たらしめている。これだけお互いのことを大切に思い合っているのに、(少なくとも作品の時系列内では)敢えて会わせない。それによって、「たとえ会えなくても、名前を呼び続ける限り二人の絆は永遠である」という本作のメッセージに説得力が増している。ラストシーン、ひとりテイラーの名前を唱えるエイミーの晴れやかな表情は、この作品が表現したかったことそのものだろう。もちろん、一人前のポストマンになったらそのときは自分がエイミーに手紙を渡すとテイラーは言っていたので、将来的には必ず再会することになるだろうが、作品中で会わないまま終わったのは正解だと思う。(余談だが、「会えなくても、想い続ける限りその人は生き続ける」というテーマは、そのままヴァイオレットとギルベルトの話にも拡張できる。こういう繋がりが感じられるところも心憎い。)

 

ここからは考察だが、テイラーがエイミーの前に姿を現さなかったのは、「自分がいなくなる代わりに、幸せに育ってほしい」というエイミーの願いを叶えた上で彼女に会いたかったということだと僕は解釈している。かつてスラムでエイミーとテイラーが二人暮らししていたときにエイミーがとった決断は、姉妹の関係と引き換えに(つまり自分からテイラーを開放することで)テイラーに明るい将来を与えるというものだった。だからこそテイラーは、エイミーの決断が間違いではなかったということを、一人前の大人になることで証明したいのだろう。あるいは、エイミーのためにそれを証明してあげたいのだ。それに、二人は「永遠の絆」で結ばれている。少しくらい会えない時間があっても大丈夫なはずだ。

 

こうして見ると、本当にテーマとシナリオに矛盾がなく、ぴったりと寄り添っていることが分かる。

 

モチーフを使った表現・含蓄あるセリフ

本作ではモチーフを使った表現とそれに付随した含蓄あるセリフが作品に文学的な上質さを付与している。個人的にはこの部分はかなり気に入ったポイントで、TVシリーズの方ではあまり見られなかった美点だ。以下に僕が気付いた要素をピックアップしておく。

 

① 三つ編み/「3つを交差させると、解けないのですよ」

これが本作で一番重要なモチーフ。三つ編みの3本はヴァイオレット・エイミー・テイラーの3人を暗に示している。テイラーがヴァイオレットを真似て髪を編もうとした際、誤って2本の髪を編んでいた。それを見てヴァイオレットは、「2つだと解けてしまいます。3つを交差させると、解けないのですよ。」と彼女に優しく教える。ここで言う2本はエイミーとテイラーのことで、残りの1本はヴァイオレットのことだ。エイミー・テイラーの二人にヴァイオレットという結び目が加わることで永遠の絆が生まれる、という本作の大局を見事に表している(大好き)。

 

② 電波塔/「いつ完成するんだい?」「そのうちな」

未完成の電波塔はまだ幼いテイラーを暗に示している。電波塔の建設が始まったのは戦後、つまりテイラーがCH郵便社にやってくる4年前。それはテイラーがベネディクトにエイミーからの手紙を届けてもらった時期とおよそ一致する。また、クライマックスの一件の後、ベネディクトは老人からの「あれ(電波塔)はいつ完成するんだい」という質問に「そのうちな」と答えている。時が経てばテイラーは一人前になり、エイミーに手紙を届けに行くが、その未来が遠くないことをベネディクトのセリフがほのめかしている。

 

③ ヴァイオレット・エイミー・テイラーのぬいぐるみ

ぬいぐるみは3人にとって、それぞれの思い出がたくさん詰まった品だ。3人は、その思い出を守るように、ぬいぐるみを大切にしている。物語終盤、テイラーとヴァイオレットの寝室とイザベラの寝室の窓際に、彼女たちのぬいぐるみが外を眺めるように置かれている描写が入る。遠く離れた場所にいながらも同じ星空を見上げる3匹のぬいぐるみに、離れ離れになっても互いを想い続ける3人の持ち主の姿が重なる。本当に文学的というか、アニメの枠を超えた演出だと思う。 

 

④「ヴァイオレット、ありがとう」

モチーフを使った表現ではないが、非常に含蓄のあるセリフだった。この発言は作品を通して二回登場する。一回目は、物語前半でイザベラがヴァイオレットと別れる際に彼女の手を取りながら発したセリフ。二回目は物語終盤、テイラーがCH郵便社を出発する際に、ヴァイオレットの手を取って発したセリフ。一回目と二回目の構図が一致しているため、二回目のテイラーのセリフを聞いた時に自然と一回目のイザベラのセリフがフラッシュバックされる。それがさらに涙腺を緩ませる。しかもこの「ありがとう」は、どちらもヴァイオレットが二人に手紙を書くきっかけを作ってくれたことに対する感謝の念を含んでいるので、そういう意味でも一回目と二回目のセリフは対称性が保たれている。非常に効果的で巧みな演出だ。

 

(2019.09.14 追記)

二回目を観てきたところ、④の考察に若干の誤りがあることに気づいた。イザベラがこの言葉を贈ったのは、ヴァイオレットと別れる時ではなく、正しくはデビュタント(舞踏会)が始まる直前だった。この時点ではイザベラとヴァイオレットはまだテイラー宛の手紙を書いていないので、ここでのイザベラの「ありがとう」は手紙を書くのを手伝ってくれたことに対する感謝ではない。この言葉に込められていたのは、自分を深窓の令嬢としてではなく一人の友達として接してくれたことに対する感謝であったと捉えるのが自然だろう。ただ、言葉の含む意味が少々変わっただけで、イザベラとテイラーの「ヴァイオレット、ありがとう」というセリフに対応関係が成り立っていることに変わりはない。

 

TVシリーズを踏まえた演出

これが最後。ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』がほんとうに「ズルい」のはTVシリーズとの繋がりを意識した演出を「適度に」入れてくるところだ。例えば、ヴァイオレットが社長にテイラーをCH郵便社で働かせてくれるよう頼みこむところでは、かつてヴァイオレットが自動手記人形の仕事をやりたいと主張したときの「『愛してる』を、知りたいのです」のシーンが回想として差し挟まる。こういう演出は、はっきり言って「ズルい」が、実際感動してしまうのでなんの文句も出てこない。

 

また、ベネディクトの「届かなくていい手紙なんてない」というセリフがあるが、これはTVシリーズの方でも登場する『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の重要なセリフの一つだ。この重みのあるセリフをベネディクトが使うというところに意味がある。どちらかと言えば使命感のようなものは希薄だったベネディクトだが、テイラーの影響によって次第にポストマンとしての誇りを見出していく。こういう文脈があってこその「届かなくていい手紙なんてない」というセリフなのだ。本当に、使いどころが正しすぎる。ただ単に前作とのリンクをぽんぽん出されてもうっとうしいだけだが、本作は適切な場面で適切な演出を選択している。

 

TVシリーズでは演出面がちょっとストレートすぎたのだが、今回の劇場版はその点も良くなった。もはや鬼に金棒である。

 

まとめ

TVシリーズヴァイオレット・エヴァーガーデン』の魅力であった感情の表現力緻密な世界観に、脚本・演出の「巧さ」が加わった完璧な感動作品。それが『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』だ。ダメに感じたところは本当になかった。びっくり。次はティッシュを忘れずに観に行かなければ。